いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

気づいたら、緊張していない件

ブログ頑張ってないです。お久しぶりです。
これから少し環境が変わり、ブログにももう少し真剣に取り組むかもしれません。
まだしばらくは新しいリズムを注意深く観察するのみになるかもしれません。
でもどちらにしろ「現実が動いている」といった状況です。
季節が急に秋めいてきました。
肌の揺らぎを感じています…
皆様もご自愛くださいませ。

最近気づいたことがあります。
「気づいたら、緊張していない」ということです。

私は人と関わったり話したりすることが本当に本当に苦手だったのですが、仕事で客先に赴く際、ほとんどといっていいほど緊張していなかったことに気づきました。

私は仕事で外出する際、
・お客様
・客先の周りの人
・一緒に行く社内の人
という、その日関わるほぼすべての人に緊張していました。
このほか、社内で人前で話すときや、打ち合わせをするときなど、社内の人であってももれなく緊張していました。

そんな私でも、齢35にして、ようやっとその現象から距離を置くことができたのです。


緊張しないために取り組んでいたこと

10代・20代のころは、やたらに緊張していて、本当に人と接するのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
ずーっと怖かったのです。
自分で人間関係をどうにかできる時期は、極力知らない人と関わらない、触れ合わないようにしていました。
でも、社会人になり、そうはいっていられなくなると、「どうにかしなきゃ、適応しなきゃ」と、無理していました。
焦ってはいても、では具体的にどうすればいいのか、ということを考えることはできていませんでした。ただ「どうにかしなきゃ」と気持ちを追い込むだけ。

何をしたわけでもないけど、30代になると、なんだかいい意味で力が抜けるようになってきました。

yamayamaring.hatenablog.jp

そのころから色々と自分について考え始めています。
その中で「緊張しいの私」についても考えていましたので、その課題に取り組んでいたといえば取り組んでいたのですが、それを気張ってやっていたわけではなく、「今思えば」という程度のものです。

・自分以外の思いや感じ方を変えることはできない、と納得する
・「ふつう」なんてないと気づく
・どう思われてもいいやと割り切る
・苦手な人の何が苦手なのか考える
・苦手な人のすべてが苦手ではないことに気づく
・大切な人と、そうでない人を区別する
・みんなに理解されようとしない
・誰かの当たり前になろうとしない
・緊張してもそれも自分だと認める
・人付き合いが苦手だと認める
・無理して付き合わない
・でも時々流されてみる
・自分をよく見せようとしない
・自分を卑下しない

こんな感じです。


結局「自分の認知のゆがみ」だと気づくこと

見てわかる通り、「これを実践すればたちまち緊張しない自分になれる!!」というものは無いです。
私自身も、ずうっと子供のころからつらかったことが、20年以上かけてやっと、大丈夫になってきた感じですから、長い時間をかけましたね。
要領のいい人は、もっと早くにこんなこと、気づいているかもしれません。
でも私は、自分を客観的に見ることも、自分について考える時期もとても遅かったので、克服するのにも時間がかかりました。

私がはっきりと「緊張しなくなった」と感じたのは、「気づいたらそうなっていた」ということに気づいたからです。
振り返ってそう思ったということは、その緊張する場面に自分がいたことも気にならなかったということだし、無意識に、自然に「緊張していない状態」になっていたということだと思います。
自分の認知のゆがみ、「人と接することがうまくない」「普通はこうであらねばならない」というものを手放していたのでしょう。
認知のゆがみについては、旦那さんがうつ病(最近はどうやら違う病気だということになってきていますが)であったこともあり、一緒に認知行動療法やマインドフルネスから引き寄せの法則・ホオポノポノといった類まであらゆる本を読んだことがかなり自分にも影響しています。
どの本も、「緊張しいをなおしたい」と思って読んでいるわけではないし、「そうか!そんな考えがあるのか!」と一瞬思っても、生活するうえではほとんど忘れていたりするんですけどね(;'∀')
私は本当に物覚えが悪いので、本の内容はすぐ忘れてしまうのですが、おそらく、同じような本を読み続けることで、色々な本のエキス?みたいなものが私にじわじわ浸透してきてくれたのだと思います。
本を数多く読むのは、こういう効果があると思います。
私は飽きやすいので、1冊の本を何度も読み返すより、似た主題の本をいろいろ読む方があっています。



私の最も苦手とする人種は営業さんで、女性よりも男性が苦手なのですが、先日最もストレスフルである「男性営業さんと2人きりで長時間ドライブ」をなしとげました!
今までの私なら嫌すぎてだんまりor気を遣って空回りトークだったはず。しかし、同年代だったこともあり、往復6時間でも快適に会話できました。
相手も気を遣ってくれてたんでしょうけどね(^^)


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私は私のペースでいい。「今日からだれでも、片づけ上手。」を読んで

読もうと思ったきっかけ

作者の原田さよさんのブログが好きで、定期的に読んでいました。

sayoslife.jp

さよさんのブログは、私にとって、母親が、一緒に家事をしている時にポツリポツリと生活に必要な知恵を話してくれているような…私にとってそのように感じるブロガーさんが何人かいらっしゃるのですが…その中のお一人です。
落ち着いていて飾らない人柄が想像される、淡々と、でも真剣にご自分と向き合っていることが感じられる文章が好きです。
この本を読んだとき、私は、片づけのノウハウを知りたい!というよりも、「どうして私はうまくできないんだろう」というモヤモヤが募っていた時期でした。
それこそ母親のように、強く押し付けるでもない、しかし弱くもない、温かさを持った文章に、救われたかったのだと思います。

印象に残った言葉

「気分よく暮らすこと。そのために、頭を柔らかくしておくこと。」
頭が柔らかくないと感じることがあります。多角的でない・思い込みが激しい、そういう面があります。いつだって、ことが起こってひとしきり悩んで、はっとして、「私はただ心地よく暮らしたいだけなのに…」と脱力する日々。
頭を柔らかくしたい。その方法はまだわからないけど、次のさよさんの文章で、少しは前に勧めるかもという気持ちが出てきました。

「やらないよりマシだわ!くらいの気持ちでラクに取り組むことにしている」
やりたくない理由、また反対にやらねばならない理由を探すのに必死になる自分がいます。
無意識で、自分のやりたくないこと・向き合いたくない気持ちに目を背けるクセがついてます。
私は、自分の思い描く理想ばかりが高くて、そこに到達できる実力や自信がないから、逃げるクセがついているのだと思います。
でも、やっぱり「100%の完成度」と「50%の完成度」を比べたときの気持ちの充実度の違い<<<<<<<「50%の完成度」より「やらないこと」を選んだ時の後悔、なのです。
つべこべ言わずにやっぱりやっとけばよかった。
わかりもしない相手の気持ちを恐れて言わないより、つたなくても自分の率直な気持ちを理解してもらえるように努力をするべきだった。
本当に何度も何度も思っています。
「やらないよりマシ」を意識して、なんとなく、なんとなく生活の色々なことに手を出せるようになってきています。

「求めているのは美しい部屋ではなく、家族も自分もラクでいられる部屋。それがどういう状態かを知っているのは自分だけ。」
落ち込むと見失いそうになる、大切な言葉。
私と家族が快適に感じることが一番。ついつい見た目を重視してしまいがち。
色々参考にして、うまくいかなくても自分には合わなかっただけの事。
いつも言い聞かせたくなる言葉です。

「比べるということは観察できているということだから、できそうな部分だけを取り入れればいい」
人と比べてばかりいる自分。それに自己嫌悪していました。
ですが、さよさんはやさしくこう言って(書いて)くれました。
比べることだって、悪くない物なのだ。
そもそも自分の中に「悪い」感情なんて一つもないのだ。
問題はそれを受け止め、どう選択していくか。

ここに紹介させていただいた言葉以外にも、背中を軽く押してくれるような言葉がいっぱいです。

私もあるある!と思わず共感した言葉

「収納場所は「なんとなく」決め、手前があいていればどんどん入れていき、そのうち後ろに何があるか見えなくなり、存在も忘れ、いざ必要な時に見つからない」
もうまさに!と笑ってしまいました。

「必死にまねてきれいにしても、いまひとつスッキリせず、家族にも不評だったこともありました。それは、散らかったその場所の何が不快でどんな点が不便なのかということを、しっかり見据えていなかったから」
私は、なぜか特に家の中のことに対してPDCAを回すのがとっても苦手。
問題点を見つけないと根本的な解決にならないはずなのに…
まだまだ、できていません。

「いただき物のよい食材をすぐに使えない」
いつか特別な日、の時のために、大事にしてしまうタイプ。
また、「もったいない、こんないいもの、もう食べることがないかもしれないからとっておかなくちゃ」って思ってしまうタイプ。
ここ数年ブログを書いたり読んだりして、だーいぶ緩和されてきましたが、本当に昔は「雑誌の付録はもれなく全部とっておく派」でした。結局すべて使わないまま、一人暮らしになるタイミングで廃棄。

私もやりたい!と思った方法

「家中から好きな物、必要なものを集めてきて私専用のスペースを作りました。このことで、リビングやダイニングにいることが好きになり、ますますしっかり片づけたいと思うように」
わくわくします。自分の宝物のようなスペース。
現在、わたし専用のコーナーを作っていますが、キレイとはいかないまでも、そこを開けるとなんだか安心します。

「食器棚の引き出しのうちの一つは、家族みんなで使いやすいよう、薬箱として使っています。」
食器棚、一度はほぼ空にしましたが、その食器棚以外「引出」と呼べる設備がうちにはないことが判明。
薬とかランチバッグや気軽なおやつは、結局食器棚にあるのが、私も旦那さんも使い勝手がいいので、最近復活させました。

「取ることより戻すことに重点を置く」
これはまだできていないことが多くて。シンク下を改善中。
とにかく戻すことを最優先。見た目は無視!
戻すことができるようになったら、少しづつレベルアップしていきたい。

「(洋服を買う時に、)着ている場面を具体的にイメージできれば失敗しない」
私は素敵な洋服の前ですぐに妄想を繰り広げてしまうので、自分のメインである「通勤」をしっかり頭に思い描いて購入することを心がけています。
最近突然の「オフィスカジュアル宣言」が飛び出した弊社…どうなることやら。

「やりたいことと自分ができることには開きがあるから、きっちり予定を立てるのではなく、とにかく今、気になっていることから手をつけて進んでいく」
ほんとにね。私はこの「やりたいこと」と「自分ができること」の「開き」を測るのが本当に苦手。妄想力のたくましすぎること。
大きな理想も、結局小さな行動からなんですよね。

感じたこと

共感することが多すぎて、私だけではないんだ!という安堵感のようなものを感じました。
そして、似ていると感じるさよさんが、自分のやり方で、片づけが辛くなくなっていった体験を読むことで、私もできるかもしれない、と思うことができました。
さよさんは、自分のペースでいいんだよ、と伝えてくれている気がしました。
理屈ばかりこね回してなかなか行動に移せない私ですが、とにかく、今なにが原因で不快に思っているのかを落ち着いて考えるようにしたいと思いました。
そして、これはもうクセなのでなかなかできていないのですが、「今気になったどんな小さなことからでも、落ち込むよりとにかく手を動かす」を習慣にしたいです。

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最近ハマっているテレビ番組2つ

最近はNHK以外の番組をめったに観なくなったし、そのNHKさえも、朝ドラとニュースくらいしかコンスタントに観ていないのですが、偶然観た民放のテレビ番組で面白かったものがあったので、2つ。

ドラマと、深夜バラエティです。

ドラマ「ハロー張りネズミ

www.tbs.co.jp


原作は“島耕作シリーズ”でお馴染みの弘兼憲史の同名マンガ。1980年~1989年にわたり講談社「週刊ヤングマガジン」にて連載され、人情ものやサスペンスを始め、企業ものや超常現象に至るまで幅広いテーマを扱い、大人気を博した不朽の名作です。
東京都板橋区の下赤塚にひっそりと事務所を構える「あかつか探偵事務所」。誰も引き受けたがらない面倒な案件ほどやりたがる、という一風変わった探偵「ハリネズミ」こと七瀬五郎とその仲間たちが、ときには人情味あふれた哀しい事件を、またあるときには想像を超えた難事件に挑んでいきます。
主人公・七瀬五郎を演じるのは、2004年放送のドラマ『オレンジデイズ』以来、実に13年ぶりにTBSに出演する瑛太さん。五朗はスケベで多少おせっかいなところもあるが、情に厚く実直な男。「あかつか探偵事務所」のムードメーカー的な存在で、様々な事件に関わっていくことになる七瀬五郎を、瑛太さんがどう演じるのか注目が集まります。
そして、ミステリアスなヒロイン・四俵蘭子を演じるのは、数々のドラマや映画をはじめ、一昨年は舞台に初挑戦するなど、多方面で活躍する深田恭子さん。さらに、五郎と同じく「あかつか探偵事務所」に所属し、五郎の良き相棒である“グレさん”こと木暮久作役に森田剛さん。「あかつか探偵事務所」の所長で、昼間から酒をあおる飲兵衛だが、五郎たちを温かく見守る風かほる役に山口智子さんといった豪華な出演者たちが、7月期の金曜ドラマを盛り上げます。
さらに全話の脚本と演出は、映画『モテキ』や『バクマン。』、ドラマ『まほろ駅前番外地』などを手がけた大根仁が担当します。大根がゴールデン・プライム帯ドラマの脚本・演出を務めるのは、今作が初となります。
ハロー張りネズミ』は“探偵ドラマ”というジャンルに属していながら、人情モノもあれば、殺人ミステリー、超常現象、ホラー、国際犯罪、歴史ミステリーまで、まさに“ジャンルレス”な展開を見せていくドラマ!豪華出演陣と大根監督の強力タッグにより、様々な要素が相まった、まったく新しい変幻自在な探偵ドラマにぜひご期待ください!!(公式HPより)


民放ドラマは、「カルテット」以来全く観ていなかったし、そもそもドラマの概要を事前チェックしてみることもないので、2話目まではこのドラマがあっていることすら知らなかった状態。
たまたまtwitterに流れてきたTLで、主題歌及び劇中音楽が「SOIL&”PIMP”SESSIONS」だと知り、とりあえず曲聴こう!というのが直接のきっかけ。

オリジナルなサウンドで人気を博し、ワールドワイドな活動を展開する爆音ジャズバンドSOIL&”PIMP”SESSIONS(以下ソイル)が金曜ドラマハロー張りネズミ』の音楽(劇伴)を担当します。
アッパーでスリリングなチューンから、ときにはメロウなアプローチまでと、唯一無二のオリジナルなジャズを奏でるソイルのサウンドが、風変わりな探偵たちが繰り広げる“新感覚探偵ドラマ”の世界観にどう色を付けるのか!? ぜひご期待ください。(公式HPより)


主題歌「ユメマカセ」(SOIL&“PIMP"SESSIONS feat. Yojiro Noda)は、とってもかっこいい!!
「feat. Yojiro Noda」って誰だい?と思ったら、RADWIMPSのボーカルさんでした。曲聴いてもわかんなかったよ!!サチモスのヨンスっぽいなって思ったもん。見事ソイル色。

それで、3話目から観たんで詳細はわかんなかったですけど、実は旦那さんがこの原作をむかーし雑誌で読んだことがあって。
その話ではなんか、超常現象?の話だったってことなんですけど、3話目は全くそんなエピソードがなく終わりました。
3話目で深キョンが仲間になるんですね!そのエピソードだったようです。
3話目だけなら普通の探偵モノ。キャストも、特にすごく好きな人は出ていないし(リリーさんの演技久しぶりに観てラッキーくらい)、うーんこれだけなら、今後継続視聴はないな、ってところで、次回予告。
これが、4話目でいきなり超常現象ぽいですよ。しかも、霊媒師役で蒼井優とな!!!
ここで次回も観ることを決意。

それで、先日録画した4話を観ました。
なにこれめちゃくちゃ面白い~~~~
3話目と全然違うドラマみたいでした。

いきなり超常現象系の依頼。
子供が誰もいないはずの家で、仕事で外出中の「母親」と会話している、と。
しかも、子供には作れるはずのない「オムライス」が作ってあったり。
ビデオを撮ってみると、姿の映らない「母親」にだっこされて浮く、子供の姿が!!
それを心理学研究の教授?みたいな人に相談するも、家のトイレで空中から伸びた「謎の手」が、その人の頭の皮を剥いで、騒然。
そこで蒼井優に依頼が。
なにやらかなり強力な霊?が、和室の梁についている模様…

ざっくり言うとこんな感じだった4話。
5話楽しみ過ぎる。
なにより蒼井優が可愛すぎて可愛すぎて、もう。
なんでしょう今回のあの、可愛く、小悪魔的な演技は。最高。それで除霊しちゃうんだもんな~かっこいいよ~~~
力を使いはたして歩けなくなっちゃうのかわいい~~~~
瑛太に運ばれるときのわざと色っぽい声出すのなに~かわいい~~~~~

そんな感じです。
1週間乗り切る活力みつけたり。

深夜バラエティ「真夜中」

www.fujitv.co.jp

リリーフランキー指原莉乃が、真夜中の街をふらふらして、真夜中に街にいる人と会話する、そんな番組?

指原莉乃リリー・フランキーが真夜中にオール深夜ロケを敢行。知られざる深夜の生態をのぞくロードムービー的ドキュメンタリー・バラエティー。指原が未だ見ぬ深夜世界への扉を開くこの番組。その世界では当たり前のことでも、知らない者から見れば不可思議な“真夜中の生態”…深夜にうごめく未知の世界の現場へ長時間潜入し、その世界を体感、ともに朝を迎える。果たして、彼らを前にして、指原は何を思い、何を考えるのか?指原と共に未知の現場に潜入するのは、何十年も深夜に活動を続けるリリー。深夜に生きるリリー日の当たるセンターで生きる指原。そんな二人による深夜のロードムービーは、深夜だからこそ起きるドラマとハプニングが満載。筋書きのない、終わりなき深夜ロケ。深夜に暗躍する指原とリリーをお見逃しなく!(公式HPより)


偶然番組紹介を観て、内容が面白そうだったので観始めた番組。
私が観たのは、「文壇バー」の回と、「新宿2丁目」の回。
業界の人の話は面白いな~。
リリーさんもさしこも、肩に力入ってなくていいです。
普通にお酒も飲んでるし。リリーさん酔っぱらってるし。

街歩きの番組、昔は大嫌いだったんですけど30過ぎたあたりから大好きになりました。
なんででしょうね?
行ったことのない都会を観るのが特に好き。

私は夜の街がぜんっぜん似合わないタイプの人間です。
だから都会とか夜の街にあこがれているのかもしれません。
文壇バーの人たち明らかに不健康そうな生活だもんな~。濃い、濃度が濃いよ。
新宿2丁目ではミッツさんが出てきました。
あの歌すごい良かったなあ。「新宿シャンソン



以上、私の最近ハマっているテレビ番組のご紹介でした。
テレビ、時々偶然相性の良いものに巡り合うとわくわくしますね!
皆様も、良いテレビライフを!



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近頃旦那さんは、いいかんじ

本当に久しぶりに旦那さんのことなど。

私の旦那さんはうつ病で糖尿病です。
糖尿病と診断されて今月で1年2か月。
うつ病と診断されて今年で10年くらい?

糖尿病と診断されて、食事を完全な糖質制限食にしてから、うつ病がこれまでにないくらいよくなっている旦那さん。
糖質制限でどうにかHbA1cを6%台に落としましたが、その後は停滞し、現在は投薬を併用しています。
血糖値は高めではありますが、上昇下降はだいたい20、多くても40くらいにおさまっているのではないかと。
なにより、糖質制限を始めて、寝込むことが一切なくなりました。それは今も継続中。

直近3か月は職業訓練に通い、念願の規則正しい生活を送れるようになりました。
職業訓練では、それまで私や家族以外とほとんど接する機会がなかったので、対人関係のよいリハビリにもなりました。
おかげさまで、自分のストレスときちんと向き合い、こなすすべをみつけながら、ほぼ皆勤できました。

訓練は終了してしまったので、これからの目標は、この生活リズムを維持することです。
自分で自分の予定を管理することは大方の人にとって難しいことだと思うので、ガチガチにがんばらず、かといって引きこもり一直線にならないよう、絶妙にコントロールしていきたい。

私と旦那さんは毎日会社から帰って、まずはお茶とお菓子で色々お話しするのですが、先日旦那さんがいい感じのこと言ってました。

自分の体と自分は分けて考えることにしている。
自分の体はあくまでも体で、体の調子が悪い=自分の調子が悪いということではない、と。
本当の自分が、自分の体の手綱を握っているイメージ。
本当の自分は、心臓付近にあるコクピットに乗り込んで、ガンダムのような体を操縦しているイメージ。
どこか、体に不調があっても、それはあくまで肉体の不調であって、自分自身の全部がダメになったわけではない。

0か100かの思考だった旦那さんがこんな考え方をするようになって、とてもいいと思っています。

それに最近、「自分は自己肯定感が低いのではないか」ということに悩み始めました。
これはすごいことだよ、とカウンセリングの先生からも言われたそうです。
自分が自己肯定感が低いと気づくこと。大きな一歩だと思います。
そのおかげで、気分が悪くなったり頭がガンガンしていることがあります。
人から褒められたりすると、とたんにぐるぐるしだしておかしくなりそうだそうです。
そうとう根深いと思われます。
でも、私は、これが旦那の最終課題ではないかと思っています。
どのくらいの時間と苦しみが必要かわからないけれど、自己肯定感について解決していくことで、旦那さんの人生は本当に、楽になるのではないかな。

私も、「パートナーの自己肯定感を上げるお手伝いの方法」について色々調べました。
でも、多いのは「親から子への自己肯定感の手助け」のような内容です。
私は私のカウンセリングでこのことについて先生に相談したところ、「親子でも夫婦でも、基本的に考え方は同じ」ということでした。
私は私のできる範囲で、旦那さんの自己肯定感が育つ手助けをしたいと思います。
それにしても、ほめられているのにそれを全否定して具合まで悪くなるなんて、悲しい。
私なら全部素直に受け止めて上機嫌になっちゃう。
旦那さんは本当に生きるのが大変だと思う。引き続きよい距離で応援していきたい。

先日、旦那さんに読んでほしいけどあまり興味がなさそう(パッと見女性向け)な本…自己肯定感を高めるためにとてもいいのではないかと思う本を見つけたので、「私が欲しいから」という理由で購入し、実際に読んでから、旦那さんに薦めてみた。
するとどうだろう、とても、とてもいい本だったと、即2巡目を読み始めた。
「悩んでいたのは自分だけではなかった」
とても勇気づけられ、自分はこれでいいのだと思えるきっかけになったらしい。
著者は女性だが、私が読んでいても、本当に私の旦那さんとそっくりだったので、わりと興奮して薦めたものである。
気に入ってもらえてよかった。

後から知ったのだがなんと著者さんは、はてなブロガーさんだった。

www.okimhome.com

この本、最初は旦那さんに読んでほしくて手に取ったのだけど、私もじっくり読み返したいものとなっている。

うつ病ではなくても、自分で自分のことを考えたり大事にすることがわからないって人にはぜひ読んでほしい本です。
「こうやってみた→結果こうなったよ」みたいなプロセスと経験談がわかりやすく書かれていて、瀧波ユカリさんの漫画もあるので読みやすい。もしうつ病で文字を見るのもきつい人は、瀧波さんの漫画だけ眺めるのもいいかもしれません。

私は自分のことをじっくり考えるのが苦手で、でも、この本の後半を読んで、きちんと自分をおさらいしたい気持ちになった。
最近自分のカウンセリングであることに気づいたこともあり、もう少し真剣に自分のことも考えたほうがいいと感じています。
旦那さんには少し申し訳ないけど、私は旦那さんと出会って、旦那さんの病気と一緒に向き合わなければ、今の私とは全然別人になっていたように思うので、旦那さんと旦那さんの病気には感謝しています。

昨日は旦那さん、どのくらいぶりだろう、の、飲み会に参加して、見事泥酔。
迎えに行くも音信不通となり、広い駅の片隅で偶然ふらふら歩く旦那と出くわしたから何とかなりました。
(遅かったね~とへらっと言われたときは、放置して帰ろうかなと思いましたけど)
看病で私も寝不足です(といっても最後ほっぽらかして寝てたけど)
でもまあ、酒に酔いつぶれることだって、元気になったから体験できたこと。
そう思ったら、そんなに腹も立たないです。

この調子でゆっくりゆっくり、やっていこうと思います。

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花火雑感

私は花火は好きだけど、花火大会の人混みが苦手なのでめったに花火を観に行ったりしない。

毎年ひとつだけ、家から歩いていける大きな花火大会があって、そこには、花火の上がり始めたころに家を出発して、フィナーレ後即帰るという、極めてミニマムな花火体験をしている。
がしかし、昨年度、延期に次ぐ延期ですこし肌寒い時期に開催されたためか、帰り道で猛烈な体調不良(端的に言うと腹をくだしました)に襲われたため、そのつらさが衝撃的だったのでもう行かないかもしれない。


福岡の大濠公園というところでは毎年花火大会が開催されて、都市部も都市部なもんだから、その日は社会人にとっては最悪な日である。
配送業者はもれなく遅延、地下鉄やバスは人であふれかえるしトイレは長蛇の列。
この日ばかりは残業を避けなるべく定時に帰宅したいところ。


今年はこの花火大会に加え、先日、百道浜での花火大会が17年ぶりに再会されたようです。
私は家にいて、どんどんという音で、花火大会があっていることに気づきました。
テレビをつけると案の定、中継番組が組まれていた。




私は、さきに書いた大濠の花火大会の中継番組が好きで、毎年楽しみにしている。
NHKで放送される花火の映像はとても美しく、地上から、空から、少し離れたところから、と、色々な角度からの花火を堪能できる。
時々、屋台や人混みの様子も映る。
といってもアナウンサーが中継することは少なく、ほとんどの映像は、「行く年くる年」のように、ただ人混みや、花火を見上げる人の顔を流すだけというのがとてもいい。
むちゃくちゃに人であふれかえった通りを俯瞰で眺めながら、クーラーをきかせた部屋で、冷たいお茶やビールを飲んだり、洗濯物を畳んだりしながら観るのが、またいい。意地悪な優越感を感じる。もちろん、その場で生で見るほうが何倍も感動するのは知ってる。

NHKの花火中継はとても静かだ。
アナウンサーが、花火とともに、視聴者から寄せられた、大濠花火大会にまつわる思い出のエピソードを読んでいく。
子供のころを懐かしく思い出す内容、亡くなった方を偲ぶ内容、青春を懐かしく思う内容…どことなく切ない気持ちにさせられるものが多い。
そのようなエピソードを聞きつつ、ぽん、ぽんとあがる花火を観ているのもいいのだが、この放送の最大のいいところは、それらのアナウンサーの声を、副音声で一切消してしまうことができる点だ。
余計な音もなく、人混みの喧騒も遠く、花火の音だけが部屋に響く。とてもいい。




さて百道の中継はどんな感じかな、とテレビをつけてみて、なんだかがっくりきてしまった。
まあ、民放は、それがお仕事なんだろうけど、全体的にスタジオが騒がしい。しきりに誰かがコメントしてる。
花火大会自体も、最後の方だけ見た感じ、どうやらコンセプトが「音楽とのコラボ」みたいなものらしく、ずっといろんな音楽が流れている。
コラボと言っても、完全に花火と音をシンクロさせるのなんて相当難しいと思うし入念な作り込みがいると思うので、だいたいは「サビとフィナーレでは打ち上げまくる」くらいのコラボ感しか感じられなかった。
花火のあがる音(はじけるときではなく上がるときの音)とか余白とかまったく、無い。
いいのか悪いのかということではないんです。ただ、私は無音が好き。



そんな感じで、私は夏を楽しもうにも、どうにも暑くてクーラーのなかばっかりにいる生活しています。
なんだかんだ、夏を感じさせてくれる花火の中継はありがたいです。

最近ブログの更新が滞っているので、こんなどうでもいい内容で、記録することへの熱意を取り戻したい。
雑観記事ばかりになってしまうかもしれないので、ご容赦ください。

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記憶の使い道

先日、ふと 去年亡くなった大叔父のことを思い出しました。
「思い出す」ということは、長らく「忘れていた」ということであり、そのことに少し切なくなりますが…





私は、5W1Hのような、「情報」を覚えるのがとっても苦手で、というのはその情報に私の心が動かされてないからなのかな~なんて考えています。
だから、日本史の成績がめちゃくちゃに悪かったです。「年表」と「出来事」がどうしても覚えられない。
また、自分の体験した思い出も、まったく覚えていなかったりします。こちらも私の感受性の問題だと思うのですが、「誰と」「いつどこで」「どんなことをした」か、ほとんど覚えていないのです。

私が思い出すことといえばとりとめのないことで、5W1Hがはっきりしないことばかり。
しばらく前の夜中に思い出したのも、空気や風景や音やにおい
今の時期であれば、小学校のころ、七夕まつりという行事で、体育館の天井に届いて余りある大きな竹に、全校生徒(といっても100人くらい)で飾り付けをしてそれを立てるときの笹の音とか体育館に響く声。
それつながりで、6年生の時、卒業式前のお別れ会で、「1年生が6年生に行う出し物」で、「肩たたきしながら歌う」というものがあり、掃除の班(1~6年生の縦割り班)の1年生が泣きながら私の肩をたたいてくれたこと(私も泣いていた)。

そういったことが突然思い出されることはあるけれども、生活や、誰かとの付き合いに必要な「活用するべき」情報や記憶が全く思い出せないのは困ったものである。
私の記憶は、一体どこへ行ってしまったのか。
それとも、記憶はあるが、思い出すメカニズムができていないのか。
私は私の記憶があまりにも「活用されない」ことにたびたび怒ったり悲しくなったりします。



そんな毎日の中で、ふとした瞬間に大叔父のことを思い出し、「これが私の記憶の使い道」なのだと感じました。
そしてとても、安心した。
私の記憶の使い道はこれなのだ。

「人は死ぬのが怖いのではない、忘れられてしまうのが怖いのだ」
「会えなくなってもその人は誰かの記憶の中で生き続ける、死ぬということは生き続けることなのだ」 という内容のことをどこかで見たことがあるけれど、もしそうなら、どうぞ、おじちゃん、私の記憶を使って生き続けてください、と思う。

もう名前も覚えていないけれど、あのお別れ会の日私の肩をたたいてくれた1年生の男の子と女の子。
私の知らないところで、どんな暮らしをしているかはわからない。
でも私が思い出したから、この二人も間違いなく「生きている」。
私の実家はなくなったけれど、私がふと思い出すから、その家も「生きている」。



私の記憶の使い道は、いろんな名前もない出来事を「生かすこと」。
だから、きっと私は、少しばかり、生活に必要な記憶力が弱いのだ!(笑)
そう思って一人ニヤニヤしてしまいました。



ちなみに、その「大叔父を思い出したきっかけ」は、「紙でゴミ箱を折ること」。
会社の個人用ゴミ箱を使わない代わりに、引出しの空き缶にゴミをためていたのですが、共用ゴミ箱に捨てに行くのがちょっと面倒だったので、そうか紙のゴミ箱を作ってそこにゴミをためれば捨てに行くのも簡単だ、とひらめいて(遅すぎる)、紙でゴミ箱を折っている時でした。
大叔父は手先が器用で、ゴミ箱もチラシできっちりと折って、ストックしていましたし、グリコの空き箱で、財布を作っていたこともありました。
その財布をもらって、におい玉を入れていたのを思い出しました。

そのほかにも大叔父は色々なものを自分で作っていたと思うのですが、私はそういうのの価値がわからない子だったので、作り方を教わることもなく。
今にして思えば、なぜもっといろいろ教わらなかったのかと後悔しています。

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【シンプル化・ミニマル化】人は人。私は私。あらためて。

こんにちは、やまたろうです。

最近はSNSやブログを見る頻度が前より減ってきています。
特に何か忙しいわけじゃないんですけどね…例の通り、ホルモンの問題で頭の中だけが忙しいのかもしれない。
あと、体がだるおもでやる気がないのもあります。
いいのです。体に任せます。さからわない。
そのうちやる気も体も回復するでしょう。
(体重も戻ってくれると信じてる…食べ物を増やしていないのにいきなり2キロ太るとかなんの罰…(´;ω;`))




体が思うように動かないときに限って、色々と焦ったり「できない」とうじうじしたり。
必要だから買っているものも、「なんで私は片付もせず買い物ばかりしているの」と落ち込んだり。
インスタグラムで素敵なお部屋を眺めては、外面ばかり整えてモノの積みあがる一角を無視している自分に腹が立つ。
色々と収納を考えだしてみるものの、いやいや、まずは捨てるところからでしょ、ってなって気分が重くなったり。
惑っています。完全に。
「うちはうち、よそはよそ」。
きちんと線引きをせねば、どんどん混乱していらぬネガティブな感情を生み出してしまいます。

そして、うちのなかでも。
旦那さんの、増えていく服・あふれる服が気になる気になる。
それを収納するスペースもない、技量もない自分に悲しくなる。
でも旦那さんは、私から見たら宇宙的な量のモノを記憶し・管理し・使いまわしているから驚く。
使いまわしてるってことは、つまり旦那さんにとって「死んでいるモノ」ってないわけで…
モノの少ないきれいな部屋にあこがれるわたしは、たくさんのものを使いこなしている旦那さんに、なんだか腹が立ってくる。
「減らして!」って言いたいのに、旦那さんにとってはすべて必要だったりするから言えない。

ここで気づく。

私は何を目指していたんだっけ、と。
インスタ映えするスッキリした家なのか?
物の少ない掃除しやすい家なのか?
極限で生きるミニマリストなのか?
人に見られても恥をかかない部屋なのか?

ちがうちがう。
目指しているのは「わたしにとっての心地よい暮らしができる家」
であって、モノの量とか、見た目がいいとか、片付いているとか、そういうのはその副産物で発生するものなのだ。
そして、私が心地いい=家族も気持ちいい、がいいのです。

わたしは、わたしのいいように、わたし以外を管理したがっている。
このことに気が付いていつも怖くなる。

「私は私、人は人」

相手が家族だろうと、わたしと性質が全く違うのだから、同じを求めてはいけない。 同様に、インスタや友達や、そういった人とも私は違うのだから、同じを求めてはいけない。

私の小さなキャパを、旦那さんに当てはめて考えない方がいい。
(たとえば、ポイントカードなんかを、旦那さんは主婦並みに使い分けるが、私は持ちたくないので持ち歩かなくて本当は全部捨てたい、とか)

同様に、旦那さんのくるくる考える頭の構造は、私にはないので、旦那さんが「こうしなよ」というアドバイスが、自分に無理なら無理ときちんと断る。
(しつこくポイントカード。これは、話し合いをもって、最低限以外は、旦那さんが管理することにしてくれた)

洋服についても、まだまだ自分の手に余る数の洋服を棚に上げ、「数」や「見た目」にこだわり、いつの間にか旦那さんに対しても「あんなに持っている…」って不満に思いがちになっていた。
その不満は不当。旦那さんにしてみれば迷惑。だって旦那さんから見れば、数に関係なく全部大好きで、こだわり抜いて、しかも全部着てるもんね。

私が、数は少ないほどいいと思うのは、私が管理できる(考え気にかけることのできる)数がとても少ないから。
管理できる数は人によって違うので、私の基準は私だけに設けることができる基準。
それを忘れがちです。

私は私のものだけと向き合っていればいい。
その辺きちんと落とし込みたいです。

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