いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

お気に入り。ダイソーのカレンダーは我が家で2役

今年の冬は、人生で一番大変だった。
年末年始は、一年で一番頑張りがいのある時期だと思うが、今年は何一つ、それらしい事をしなかった。

だが、やらないこと、やり残したことで、後々困ったことと言えば、意外とそんなに無い。
行事をこなさなくても人は生きていけるものなんだなぁ。またひとつ、ずぼら生活への罪悪感が減ってしまった…良いのか悪いのか。

その、数少ない(というか唯一の、かもしれない)困り事の一つは、カレンダーだ。

年末年始は所狭しと並んでいるカレンダーだが、1月も終わりになる頃には、かなり売り場の隅でひっそりとしている。
セールになっていたりして、一応手に取ってみるけど、わたしはカレンダーには個性を出して欲しくないので、そういうシンプルなものはなかなか残っていない。本屋さんには定番ものがあるけど、私のカレンダーにかけたい金額からはオーバーしてしまう。

去年ダイソーで、クリーム色にネイビーの印刷の、シンプルな、二ヶ月が一度に見られて、真ん中にミシン目があり、一ヶ月ごとに切り取ることができるというカレンダーを購入した。100円で、自分好みで、実用性もある満足度の高い買い物だった。
今年は、台所も居間も、それにしようと思って、1月末のダイソーに行ってみると、カレンダー売り場そのものがなかった。
カレンダーは、時期を逃すとこんなにも存在が消えるのねと、初めて実感した。

その後も100均に用があるとカレンダーを探した。
すると、天神のダイソーで、ようやく、いいなと思うカレンダーに出会った。

大きめのクラフト紙で日付が見やすく、前後の月も記載されている、イラストや写真が一切ないタイプ。

妥協しないでよかった。今年は時期を逃して大変だったが、またまた100円で、好みのカレンダーを買えて、とても嬉しい。

そして、今年のこのカレンダーは、我が家でもう一つの大事な役を果たしてくれている。

カレンダーの役目を終えて、ブックカバーへと生まれ変わる。

クラフト紙ならでは。
紀伊国屋の書店カバーがくたびれたら、こちらにかけかえる。月一回の、お楽しみ。

もし今年も紙の本を買い続けるなら、来年もこのダイソーのカレンダーにしようと思う。

同じことを役者を変えて繰り返すだけ

極端に狭い人間関係で生きている人がいる。
自分とは絶対に離れないだろうと思い込んでいるその人間関係の中で、
何十年たっても同じことを繰り返す。

その人間関係の中では、物事の考え方や価値観や関係性が変わらないので、
一見別の出来事が起こったように見えても、結局は過去の配役を変えて同じ問題を作り出しているように見える。

また、その人間関係の中に「異物」が入り込むのを極端に嫌う。
自分が隅々まで把握していて手足のように動かせると思っている将棋盤の上に、チェスのコマが置かれようとするのを必死に排除しようとする。ここには将棋以外のルールは必要ないのよ、一般的には(ここでいう一般的に、も、その狭い世界で語られているものだ)そういうものだから、何かを足す必要はないの。また何かが抜ける必要もないの。このままがいちばんうまくいくのよ。って。

いつまでもいつまでも。
同じキャストを使って、その時々で悪役を立てて、常に不安と不満のドラマを作っている、そしてドラマを作っている本人こそ本気で「なぜこの世界にはいつもいつも問題ばかり起こるのかしら」としかめっ面をしている。

少し離れてその世界を見る。
つくづく、自分を成長させるには、変えていくには、多少の新しい人間関係が必要だと思い知る。
新しい人間関係で得られるものは新しい、自分のまだ知らなかった価値観だ。
だから、読書や映画や芸術や、そういうものも、自分のものではない価値観で生み出されているので、人間関係から受け取るものよりはマイルドかもしれないけれど、受け手の態度によって価値観の変化を起こすことができると思う。

狭い世界を守って生きているその人たちは、本にも、映画にも、音楽にも、芸術にも、体験にも、興味を示さない。
何かいつも必死に早口に、色々な問題を抱えて考えているように話しているけれど、その解決策を求めて専門の窓口に相談したり、書籍を読んだり、第三者に間に入ってもらったりしない。
多分本当は答えを求めていない。
自分の安心できる世界以外の価値観で物事が語られ始めるのが怖いのだ。

ここまで偉そうに書いてきたけど、これはまんま私にも当てはまる。
私はある人間関係を外から見てこう思っているが、自分だって、もっと広い世界や価値観を知っている人からすれば同じである。
ただ私は、自分が狭い価値観や人間関係の中でその安心を守りたがって外を怖がっているのを知っている。またそのまま歳を重ねていくことに恐怖を感じる。
そして同時に、自分の大事な相手に対しても、そのような人間関係や価値観に広がりのない世界だけになってしまうことが怖いと思う。
大切な人だからこそ、「私とあなた」だけの価値観で世界を見てしまうのではないかというのが怖い。
大切な人だからこそ、「心を一つに」なんてせずに、お互いいろんな目線で、いろんな方向を向いていたい。
「同じことを役者を変えて繰り返す」のではなく、「私はわたし、あなたはあなたのまま、どれだけ多彩なゲストを迎え、どれだけ多彩な物語を楽しめるのか」を意識してやっていけたらいいなと思う。

貧弱なラインを愛する

体の線のことである。

私は20代後半から30代前半まで、とても太っていた。
これではいけないと思っていた矢先に、旦那さんが糖尿病であることがわかり、一緒に本格的に糖質制限を始めた。
体重は順調に減り、数年をかけて、先日、標準になった。
糖質制限はあくまで「適正体重」になる術だ。
痩せすぎの人は太く、太った人は痩せることができる、正しく行えば。
だから、自分の適正体重以上に増えることも減ることもない。

だから私は決して痩せてガリガリになったというわけではなく、むしろ太ももは長年の姿勢の歪みにより硬く太い肉がついたままだし、掃除や家事をめったにせず子供を抱き上げることもない二の腕はだらしなくぶよぶよしたままだ。

全体的にぽったりしているにもかかわらず、私は自分の体、特に背中・おなか・お尻のラインにどうしようもなく「貧弱」なイメージを持つ。

おそらく、筋肉が少なくなってしまったからだと思う。
もともと私は典型的な日本人女性の体型、着物が似合う体型、すなわち小胸・鳩胸で腰とお尻の位置が低くでっぱりがない。
それが、糖質制限で健康的に痩せてきていたときは気が付かなかったのだが、ここ数か月のストレスであまりよくない痩せ方をして、筋肉がなくなって、より顕著になった。
のっぺりに拍車がかかってしまった。

それが、最近結構いとおしい。
お腹にはまだまだ脂肪がついているのに、横から見ると(二の腕との対比も相まって)そうとう薄っぺらい。
胸の高さも低いし、お尻のカーブも緩く下向き。
老いも手伝って、なんともわびしく、貧弱だ。
でもそのなんとも平坦なラインをとても「いいな」と思う。

なんでかはわからない。
お世辞にもイキイキしているとは言えないし美しくはない。
でもいとおしい。

そういえば最強にメンタルやられていた時の自分の顔がすごくいいと感じたときもあった。
確かツイッターでもそういったことをつぶやいた。
会社のトイレの鏡にうつった自分の目の生気の無さよ。
眉毛がぼやっとしていて目の下にクマができていて、ビューラーをやめたのでまつげは下向き。
もともと私のすべてのパーツは、小さく丸い。
アイラインもビューラーも使わず、口紅も引かない私の顔はもう本当にすべてのパーツが小さい。
それでもなんだか、いいなと思った。

自分を憐れんでいるのだろう。
気持ち悪い感情だと思う。
だけどくたびれたこのラインを、好きだと思った。

私は背が小さい年配の方の着物姿が好きだ。
さらに、着物からのぞく首筋や足首や手首がやせ細っている人の着物姿が好きだ。
体のラインに反して、とてつもないパワーを感じる。静かなパワー。
醸し出す大物感?とにかくこの小さなご婦人には今まで積み重ねてきた様々な物語や感情があるのかもしれないと、私に思わせる。
それにあこがれていたのかもしれない。
今の私の細くはないけど貧弱なラインが、小さい着物のご婦人に少しでも近くなったかもしれないと想像して、うれしいのかもしれない。
でもそれはあくまで外側のラインののっぺりしているさまがなんか似ている、というだけで、本質的には全然違うのだろう。
気力がないのを受け入れている。
精神が浮上しないのを許している。
何かに打ち込みたいけど打ち込めるものが自分には何もない。
それは私の状態が0以下になっているからかもしれないし、ずっとそういう性質なのかもしれない。
とにかく今は自分ののっぺりとした貧弱な印象が好きだ。
いつかその感情が全く理解できなくなった未来の自分が、この文章を読むのを想像するとなんだか面白い。
逆に、このままのっぺりと歳を重ねた後の自分がこの文章を読んでいるのを想像しても、なんだか薄気味悪くて面白い。 未来のことはなんにもわからない。
その時自分が何を愛しているかなんてわからない。

旦那さんが私との間に境界線を引き始めた

この数か月で、まるで体験したことのないような波に、のまれているようだった。
具体的な始まりは、義理の父が心不全で緊急搬送されて入院、その数日後に脳梗塞を発症したことによる、待ったなしのダブルケアだった。

その前後で、私は今までに味わったことのないような怒りと悲しみと絶望を体験して、それは介護そのものというよりも、その皮をかぶって周りに横たわっていた様々な問題だった。

この件に関してはまだ、思い出すと吐きそうになるので、いつか遠い出来事のように思うことができたら、振り返るようにしたい。

今もまだ、その波うち際で必死に海藻にしがみつきながらざぶざぶと打ち寄せる波に必死に耐えているような状態ではある。
でも、その波は当初よりだいぶ小さくなり、また私たちも、波を乗りこなすすべを否応なく身に着けてきた。

この辺の出来事は、できれば誰にも体験してほしくない類のことで、私たちの気力体力から物質的金銭的なものまで何もかも溶けてなくなってしまった。
ただその中で、ひとつ大きな変化が起きた。
旦那さんが、わたしとの間に境界線を引き始めたのだ。

「境界線を引く」
どちらかといえば不穏なイメージがあると思う。
しかし、私にとっても旦那さんにとっても、とても喜ばしいことなのだ。
いわば彼にとっての「脱皮」、あるいは(この表現を使うべきか迷ったのだけど思い切って)「初潮」であるとすら感じる。赤飯だ。いや、糖質制限中なので、ここはクルミ入りふすまパンにしよう。

荒波に飲まれ、二人で必死に戦ってきた。
その波があまりにも息を止めにかかるので、旦那さんの小さな記憶の蓋が開いたのだ。
今振り返ると、大きな波の中で、それはきっちりと順序立てて、旦那さんの前に現れて、彼を徐々に別のステージへと推し進めているのがわかる。
大きな変化は意外と、劇的でもなく、突然でもなかった。
でも、確実だった。
そして揺るぎようがなかった。

その大きな変化の一つが、わたしとの間にひかれた境界線。

わたしたちはすごく仲がいい。
仲が良すぎてたぶん、共依存的なところがある。
というか、この10年あまり、共依存にでもならないと、正直やってこれなかった。
でも、ここで起きた大きな変化により、彼は「あなたが私ではないように、私もあなたではない」ということが初めて腑に落ちたようだった。
文字にすると当たり前だけど、これは誰かに言われて「そうか」と受け入れることができないものだと思う。
ずっと生きづらさを抱えてきた彼が、自分の頭と体でそう思えるようになる、様々なプロセスを経て、人生で初めて獲得したものだと思う。

私は本当にうれしい。
境界線を引くのは、自分を守る、自分を大切にする第一歩だと思う。
境界線がないと、自分以外の人に起こったものも自分のなかに丸ごと受け入れてしまうため、自分自身がボロボロになってしまう。
逆に、自分の感じたものを丸ごと他人と共有しようとするので、自分と同じ感情になってくれない他人に失望し傷ついてしまう。
その根本的な原因は、自己肯定感の低さだ。
自分を低い場所に置いてしまうので、自分以外のすべてを受け入れなければという考え方になってしまう。
自分の感情に自信がないので、他者からの全肯定を望んでしまう。

それは、自分以外の人から見たら、明らかなのかもしれない。
でも、自分で気づかない人にいくら周りから訴えかけても、正直何を言っているかわからないんだと思う。
自己肯定感の低さは、自分で気づいていくしかない。
旦那さんを見ていると本当にそう思う。

私との、そしてそのほかの人との境界線を引き始めた彼は、短期間のうちに、精神的に安定してきている。
とてもうれしい。
自分を大事にしようって、やっと心から思えるようになったんだね。
おめでとう。

実は旦那さん、介護でまた、職を失ってしまいました。
また、ここから、二人で新しく始めます。

しばらくは、内容も、テンションも、日によって波のあるブログになりそうです。
なんだか、ブログって一貫性のあるものではなくてはならない気がしていて、書きたいけどかけない、書いていいのかわからない、そんな気持ちを抱えていましたが、しばらく自分のためだけに、ただ書いていくことにしました。

サブブログが周りでにぎわっているけど、私は皆の言うサブがメインなのだ。
というか、それしかないのだ。

基本的には、2人ともだいぶ元気です。

相変わらず二人であっちに流れ、こっちに流れではありますが、頑張っていこうと思っています。
また、よろしくお願いします。

スターバックス ハミングバードプログラムが素敵。

スターバックスにコーヒー豆を買いに行った際、おすすめされた「ハミングバードプログラム」がとても素敵だったので、簡単にまとめたいと思います。

ハミングバードプログラムとは

「あなたの1杯が、震災遺児の進学支援に。」
ハミングバードプログラムとは、スターバックスが行う寄付の名称です。

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スタッフさんからいただいた紹介カードに詳しく仕組みが書かれています。

スターバックスには、様々な柄のプリペイドカードが売られていて、その中に「ハミングバード」という、ハチドリのマークが描かれているものがあり、そのカードを購入・使用することで、寄付活動に参加することができます。

カードを購入する際、1000円以上のチャージを行います。そのチャージ金額から、まず100円、寄付されます。
私はもともとスタバのアプリでスター(ポイント)を貯めようと思っていたのですが、そのためにはまずスタバカードにチャージをして、それをアプリに登録する必要がありました。
その際、せっかくなのでご紹介だけ、と、店員さんが紹介してくれて、今回のプログラムを初めて知ったのです。
カードは様々な種類があり、一応全てのデザインをみせていただきましたが、せっかくなので、100円でも寄付できるなら、と、このハミングバードのカードを購入しました。

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このカードに1000円以上の金額をチャージして、それをアプリに登録すると、アプリ画面のみで支払いが可能になります。

3000円チャージして、コーヒー豆を購入し、アプリで支払いました。
100円寄付されて、2900円からのスタートです。
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アプリの画面です。
カードそのもののデザインが表示されて、残高も随時更新されます。
私はアプリを使うので、カード本体は旦那さんに使ってもらうことにします。

登録は少し時間がかかるので店舗内の座席に座らせてもらって、登録後にお会計しました。
お会計後に、スタッフさんが補足説明をしてくれました。
3/8〜5/29の間に、このハミングバードのついたカード(過去発売の分も含む)でスタバでお会計をすると、会計金額の1%がさらに寄付される仕組みだそう。

おいしいコーヒーをいつも通り楽しむだけで、寄付に参加できるなんて、いいなあと思いました。

大きなことはできませんが、こうして企業が呼びかけてくれることにのっかって、少しでも、残された方のためにできることがあるって嬉しいです。

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スタッフさんが手書きカードをくれました。心遣い。

以前テレビ番組で、「認知症患者とそうではない人が同じ場所に集える場所」として、ある街のスタバが会場を提供していたという特集を観たことがあります。
以前は「スタバって若者と意識高い系の人が行く場所」と思い込んでいた私ですが、一度行き始めると、毎日通い詰める人がいるのも納得できます。居心地がいいだけではなく、寄付や社会貢献活動のような、なんとなく気負いそうになりがちなこともサラッとこなしているのが素敵だと思います。

このハミングバードのカードを買ったので、来年のこの時期も自動的に寄付に参加できると思うと嬉しいです。

【糖質制限】最近の限界レシピ4選(ピーマン・厚揚げ・えのき・卵)

自分が本当に限界で、食べることが好きなのにそれすら受け付けなくなってしまったと感じたときは、後先考えずまずは食べられるものを金で買って摂取する、これだけを頑張ります。
身も心もダメダメな状態が続くとき、私は(旦那さんの分も)迷わずコンビニに頼ります。
1か月以上毎日コンビニでしたが、モノを選べば太らないし体も壊れないので、本当に限界状態の皆さんには全力でコンビニをお勧めします。今は本当にいい時代です。とりあえず今を乗り切って。生きて今より元気になったら、自分で作ればいいんです。
私が選んでいたのは(2017冬)、下記の商品です。
・ローソン ブランパンシリーズ
・水炊き
・そばつゆ味の鍋(豚)
・豚汁
・ホットスナック チキン
セブンイレブン 冷凍食品 照り焼きチキン
だいたいこの中でローテーション。飽きる気持ちすら起きないので、十分でした。寒かったのでだいたい鍋だったかな。
糖質を制限するため、安価な糖質多めの品は選びません。そのため食費は高くなりますが、糖質のみ摂取して体や心を悪くし、将来的な医療費がかかったり健康被害につながることを考えると、今の出費を選びます。


前置きが長くなりましたが、今は少し食欲が戻ってきたのと、体もだいぶストレスになれてきたので、少しずつ自炊率を上げています。
とはいえ、相変わらず寒いし、精神的にはまだまだ低空飛行だし、引き続き無理をしない方向で。
本当の「限界」なときは料理をやめるのが一番ですが、限りなく「限界」に近いときの、私の「限界レシピ」、糖質低めで4つ、お送りします。

ピーマン丸ごと

材料
・ピーマン1袋(約4個)
・油
・焼き肉のたれ
・水
・(あれば)ブラックペッパー
作り方
蓋のできるフライパンかテフロン鍋に油をしいて、洗ったピーマンを丸ごと入れて、ころころしながら焼き色をつける。
鍋に水をひとまわし、焼き肉のたれひとまわしして蓋をして弱火5分くらい。
ピーマンがしなっとしてきたら蓋を取って、汁気が多そうなら少し煮詰める。
皿に盛りつけてブラックペッパーをふる。

包丁使わない、種取らない、味付けは焼き肉のたれ。これが美味しい、栄養も豊富。栄養、種とワタに結構あるらしいです。ちなみに「ひとまわし」はだいたい15cc、大さじ1杯くらいらしいですよ。この辺も適当で。私はご飯を食べないので味付けは薄めにしていますが、濃いめが好きな人は焼き肉のたれを足してくださいね。

厚揚げ

材料
・厚揚げ1パック
・油
・焼き肉のたれ
作り方
厚揚げを1口大に切って、油をしいたフライパンで焼く。なるべく全面に焼き色を付ける。
焼き肉のたれをひとまわしして、厚揚げにたれが絡んだら皿に盛る。

また焼き肉のたれ。調味料合わせるの意外とめんどくさくないですか。焼き肉のたれは、糖質は少々高いですが、量に注意すれば圧倒的に手軽で時短でおいしい。厚揚げにはしっかり全面に焼き色をつけると、カリっとしてとてもおいしくなります。タンパク質大事。

えのきペペロンチーノ風

材料
・えのき1袋
・油(できればオリーブオイル)
・塩コショウ
・あればガーリックパウダー
作り方
フライパンに油を入れ、石づきを切り落としたえのきをほぐして入れ、いためる。
しんなりしたら、塩コショウ・あればガーリックパウダーをふり、皿に盛る。

糖質制限で不足しがちな食物繊維が摂れます。また、きのこ類には色々な栄養が含まれていますが、特に今とれたらいいなあと思っているのは「パントテン酸」「GABA」です。パントテン酸には抗ストレス作用のある副腎皮質ホルモンの分泌を促してくれる効果があるそうです。また、GABAは、GABA入りチョコなども販売されているように、神経の興奮を抑えてくれる働きがあるそうなので、ストレス・不眠・うつなどに少しでも効果があればいいなと思っています。とはいえ、えのきは消化しにくい食材なので、食物繊維以外は十分に吸収できていない可能性が高いです。まあ気持ちです気持ち。よく噛んで食べます。

ゆで卵

材料
・卵
お酢
・水
作り方
鍋にお湯を沸かし、酢を少し入れて、卵を入れて、中火で8分。

「レシピ」って言っていいものかどうか…しかし、もうこれだけ作っておけば大丈夫なんじゃないかな。
私は1度に7個とかゆでますよ。寒いときは4日は持ちますし。洗い物も簡単だし。食べる気がしなくても、とりあえず塩ふって1個口に入れとけば栄養あるし。夜に小腹が減って食べても大丈夫。冷たいので、殻をむいた後、マグカップにお湯入れてしばらく浸けておけば、まあまあぬるくなって食べやすいですよ。鍋物・汁物があるならそこに投入しておけばいいし。
お酢を入れるのは、卵が割れて中身が出ても、あまり広がらず固まるからです。
卵は何個でも「8分」に決めています。


以上、最近の限界レシピ4選でした。
ハードルは低く低く。
電子レンジを使いこなせていないので、レンジの限界レシピをお持ちの方は教えてください。


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夜の着信

昨日は、ここ最近の中でも、特に調子が悪く。
体の不調はここ1か月と変わらないくらいで、おなかをこわす回数が多いな、くらい。
ただ、「虚無感」と、右鼻から頭に何かが抜ける感じ、頭全体の締め付け感、心臓の違和感なんかが一気に出てしまって、悪いってはっきり自覚しました。

ここ一番の寒波到来も原因の一つ。

こういう日って、だいたい自分の都合とは別にやってきます。
さらに、調子が悪いこと、知ってるけど、その日に限って、夕飯の支度を自分でやったり(そんなに調子悪くなくても私はわりとサボる)、どうしても仕事を休まなかったり、いつも作らないのに明日の弁当を作ろうとしてしまいます。
なんなんでしょう、一夜明けると、自分の行動の異常さを冷静に見ることができて、呆れてしまいます。
まあそんな感じですべてをいい方向には受け取れない日だったんです。

夜8時、携帯電話に、知らない電話番号(080から始まる)から着信がありました。
私は出るのが怖くて、でも留守番電話を契約していないためしばらく鳴りやまず。
今、わたしと旦那さんが義母と義父のケアの窓口になっているので、もしかしたらどちらかに何かあったのか。
でも、携帯電話からかかることはほぼないし、それだったら私だけでなく旦那さんの携帯電話にも着信があるはず…と思ったが、旦那さんの方に着信はない。
旦那さんの親族の誰かが連絡してきているのかも…これを考えると本当に心臓が締め付けられる気がしてしまい。(色々あってできるだけ距離を置くようにしています)
「たぶん迷惑電話だよ」と旦那に説得されて、考えるのをやめました(こんな些細なことで、その時は頭が何も考えられなくなり食べ物ものどを通らなくなってしまった…)

その1時間後、同じ電話番号から着信が!
これ絶対私あてに明確にかけてきてるよな~~~~と思って、無言で出てみた。

私「・・・・・・」
???「・・・・・・」
私「・・・・・・モシモs」
???「ぅう~~~ん・・・」ガチャ

?????????!!!!!!!!!!!!????!!??????!!!!

ヒイイイイイイイイイィィィィィィィ
なんだこれは

全身に鳥肌が立ったところで、まさかの再着信

ももももももぅムリ旦那出てダンナァァァァ

ダンナ「・・・・・・」
???「・・・・・・」
ダンナ「はいもしもし」
???「おああ????…」
ダンナ「な、なんですか?」
???「あ、や、やまたろうは…やまたろうは…おらんですか…」
私「は?は?誰??」
ダンナ「え??ええと?何ですか????」
???「やまたろうは…そこにおらんとですかね…」

私「あ、じいちゃんや」
ダンナ「???!!!???!」
私「ごめんそれ多分じいちゃんや」
ダンナ「は?!そ、そうなん?!あ、いますます、今変わりますねぇ~~~」

私「じいちゃん!!じいちゃんいきなりどうしたとな!!!」
ジイチャン「おお~~~~やまたろうか~~~~い!」
私「なーんな!!じいちゃん、誰かわからんけん怖くて電話でれんかったよ~~~」

ごめんなさい、ふつうに故郷の自分のじいちゃんでした。
じいちゃん、90代なのに、携帯電話つかえるんだ…

要件は、私と旦那さんが正月にばあちゃんの施設に会いに行ったことを私のお母さんから聞いて、
どうにもこうにもうれしくて、お礼が言いたくて電話したとのことでした。
お母さんから「やまたろうは、夜8時くらいにならんと電話出れんから」と言われたみたいで、夜まで待っていたそうです…悪いことした、気持ち悪がっている場合ではなかったw

ばあちゃんの施設へのお見舞いは、私と旦那さんが行きたいから行っているだけなので、今までそのことで特に実家の方に報告したりすることが無かったのですが、最近色々あって、普段あっさりしている母への電話連絡時に、色々と大変なんだよ~と愚痴ってしまって。その中で、かるくばあちゃんの施設に行ったことを話したので、すぐにじいちゃんにも伝えられたようです。
ばあちゃんは私のことはわからないみたいだから、じいちゃんに連絡くれたら一緒に行くよ~と言ってくれました。まあそれも、ばあちゃんにわかってほしくて訪問しているわけではないのですが、次はそうしてもらうね、ありがとうと伝えました。

この日、何度も言うように私は体調が悪かったのですが、じいちゃんからの「ありがとう」という電話のあと風呂に入ったら、嘘のように体と心が楽になっていたのが印象的でした。

純粋に、自分に感謝の言葉が向けられるだけの電話に、救われました。
この2か月、もめることはあっても、罵られることはあっても、相談することはあっても、「感謝」されることはなかった。
感謝を伝えられるとこんなにも体と心が喜ぶんだなあ。
私も色々な人に感謝を伝えます。
感謝って人を救うんだな。

血って。
血のつながりって、複雑だと感じます。

血のつながりで苦しんだり悩んだり、血のつながりでうれしくなったり癒されたり。

今はじいちゃんともこんな感じで付き合えますが、18で家を出るまでは、どちらかといえば私のじいちゃんに対する気持ちはうまくいっていませんでした。
離れたからこそ、お互いに思いやれる余裕が生まれたのだと思います。
離れることでしかうまくいかない自分を、少し悲しく思います。


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