いっぽいっぽ日記

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日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

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年度末に思う、なくなったもののこと

おひさしぶりです、やまたろうです。

2月に忙しさのピークを越し、特に忙しくもなんともない3月のはずですが、原因不明のやる気が起きない病にかかっていました。

本を読んでいました。
他には、何をしていたのか思い返せないほど何もせず考えず、ただ時が過ぎた感じです。

何か楽しいこともこれといって思い当たらず。
家事も、やっているようないないような、いや、最低限の料理だけを作る日々。
汚い部屋を見ても、何も改善する気が起きず。
何かを考えているんだけども何もまとまらない。
気が付いたら一日が終わっている。
じっくり寝ていることは寝ているけど、気持ちは「眠りが浅い」と感じる。

なんだろう、エネルギーが無い状態みたいなんです。

そういうことをカウンセリングで先生に語ってみたりしました。
ひとつ発見がありました。
それは、この今の状態が、「昔の私に戻ったみたい」だと感じること。
そして、そう感じることができていること。

ちょうど1年前の私は、旦那さんと衝突することが増えていて、自分の頭の中がうまく整理できていない状態。そういう状態なんだと自覚を持つきっかけとなった、通院や知能検査をやっていた時期です。

それから1年。一つ歳をとり、自分のことも前より飼いならせていると感じていました。
けれど、人ってそう簡単に変われないのですよね。
なんだか1年前に戻ってしまったような私の頭の中。
だけど、それを自覚できているということが、とても大きいことのように感じます。
わたしは、昔とは違う場所に立っている。その差は少しかもしれないけど確実なもの。

さて、私は年度末が誕生月なので、振り返るときも3月を基準にすることが多いのですが、今年度は、意図せず私の前からなくなってしまったものが印象深かった。

私にとっての2016年度、34歳の1年は、一言で表すと「喪失」。
こんなにもこの言葉に近づく年は、これからの人生もそうそうないのではと思います。

親しい親族、私の子守をずっとしてくれた大叔父と、母方の祖母を亡くしました。

2016年4月の熊本地震で被災した私の実家が、この冬、解体されました。
実家の向かいに立っていたご近所さんも、もう今は住んでいません。
実家から近い場所にある、母方の祖母のうちも、被災して解体されました。

ずっと変わらずあるものだと思っていました。
そんなことあるはずがないのに。

特に実家に関しては、農業を営んでいるので、まずその土地から離れることを想像していませんでした。
山奥に位置する実家が被災したことで、実家のみんなは、市街地の方に新しい居を構えました。

私はまだ、家がなくなったその土地を見ていませんが(祖母の葬儀の時に行こうかと思っていたが雪が深くて行けなかった)、その土地を見たら、もっと実感がわくのかな。

よく眠れない3月のある夜中、突然、実家で過ごした子供のころの記憶が押し寄せてきたことがありました。
それは、家族との思い出でも、学校のことでも、友達のことでもなく、「そこにある自然」でした。
裏の井手のこと、井手に落ちている割れたお椀のかけら、冷やしたスイカ、洗い場にいるメダカ、その井手から引かれた水車が夜中にあげるどう、どう、という水音、一斉に鳴くカエルの鳴き声、寝間着で庭や田んぼに見に行く蛍、雨どいの下に生えていた蛍が好きだという草、暗い地面に生えるふき、道路向かいの資材小屋の隅のドクダミのにおい、向かいの山の牛舎に続く斜面にはえるフキノトウ、つくし、わらび。裏手の山にあるお宮さん、くっつき虫と呼んでいた草、野イチゴ、桑の実、しいたけ林の真っ暗な中で吹く風、時々、夕飯前の世界が真っ赤な時間帯に山道を登って一人になったこと、春の太陽の下で屋根の上に布団を干してその上に寝転がってりぼんを読んでいたこと。カナカナゼミ。真冬の星。

前触れもなく思い出す風景やにおいにだらだらと涙がこぼれました。

もう私はこれらを味わうことはない。
あの場所はもうどこにもない。

おじちゃんにも会えないし、ばあちゃんにも会えない。

ただ、なくなることは悪いことではない。
100年たてば、私の知っている人はほぼいないだろうし、暮らしていた場所もないだろうし。
そうやって世界はまわっている。

実家が市街地に移ったことで、いいこともあった。
特に母は、ずっと、実家が谷間にあって朝日が当たらないことが嫌だったらしい。そういえば朝日を浴びたことがない。
そして恐ろしく寒かった。家は昔の日本家屋で、台所は小さいころは土間(ぼこぼこした土で、外履きでおりる)だったし、夏は暑かった。やっと、台所にだけエアコンがついたのは数年前だ。 「新しい家があったかい!電気毛布が無くても、夜寒くないよ!」と電話口で伝えてきた声に、ちょっと笑ってしまった。
祖父も、「(市街地に)おりてきてよかった。冠婚葬祭や祖母の介護施設へ行くのにも、買い物にも便利だし助かる」と言っていた。

自然を味わうのも、毎日だと大変だ。生活する苦労は多い。
今からどんどん歳を取っていく実家の人たち。
便利に暮らしやすく快適になったのだから、これでよかったのだと思う。
いつか、グーグルマップから消えるその日まで、グーグルマップで実家を見続けることにする(ど田舎なのできっとなかなか更新されないだろう)。

そして、祖母の通夜で祖母の顔を見ている時に、初めて、先祖代々ずーっとつないでくれたから、今私がいるのだと、実感した。
私には子供がいないので、そのことを想うとちょびっと胸が痛んだ。
でもそれだって、長い長い人間の歴史の流れの中では、宇宙の中では、特に重要なことではない。

そんな感じで過ごした3月、2016年度の終わり。
決して「元気!」と言える年度の締めくくりではないけれど、これはこれで、アリではないかと思う。

34歳も35歳も、大して変わらない気がするね、と、同じく3月生まれの親友と話し合った。
私の周りには3月生まれが多い。だから、春が好き。
きっと、39歳から40歳になるときも、こんな感じで「こんなもんか」って言ってるんだよ。

よーし、色々書いたので、4月から本気出すぞ!(大嘘)

そうそう、ここで、忘れられない田舎エピソードを記録しておこうと思います。
私は高校時代バイク通学で、いくつも山を越えて通学していました。
夜の課外を終えて真っ暗な冬、山をバイクで疾走し登り切ったところであまりの夜空の綺麗さに見とれてしまい、道を外れてそのまま畑の真ん中にある堆肥の小山に突っ込んでいったことは内緒にしておいてくださいね。

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