いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

旦那さんが私との間に境界線を引き始めた

この数か月で、まるで体験したことのないような波に、のまれているようだった。
具体的な始まりは、義理の父が心不全で緊急搬送されて入院、その数日後に脳梗塞を発症したことによる、待ったなしのダブルケアだった。

その前後で、私は今までに味わったことのないような怒りと悲しみと絶望を体験して、それは介護そのものというよりも、その皮をかぶって周りに横たわっていた様々な問題だった。

この件に関してはまだ、思い出すと吐きそうになるので、いつか遠い出来事のように思うことができたら、振り返るようにしたい。

今もまだ、その波うち際で必死に海藻にしがみつきながらざぶざぶと打ち寄せる波に必死に耐えているような状態ではある。
でも、その波は当初よりだいぶ小さくなり、また私たちも、波を乗りこなすすべを否応なく身に着けてきた。

この辺の出来事は、できれば誰にも体験してほしくない類のことで、私たちの気力体力から物質的金銭的なものまで何もかも溶けてなくなってしまった。
ただその中で、ひとつ大きな変化が起きた。
旦那さんが、わたしとの間に境界線を引き始めたのだ。

「境界線を引く」
どちらかといえば不穏なイメージがあると思う。
しかし、私にとっても旦那さんにとっても、とても喜ばしいことなのだ。
いわば彼にとっての「脱皮」、あるいは(この表現を使うべきか迷ったのだけど思い切って)「初潮」であるとすら感じる。赤飯だ。いや、糖質制限中なので、ここはクルミ入りふすまパンにしよう。

荒波に飲まれ、二人で必死に戦ってきた。
その波があまりにも息を止めにかかるので、旦那さんの小さな記憶の蓋が開いたのだ。
今振り返ると、大きな波の中で、それはきっちりと順序立てて、旦那さんの前に現れて、彼を徐々に別のステージへと推し進めているのがわかる。
大きな変化は意外と、劇的でもなく、突然でもなかった。
でも、確実だった。
そして揺るぎようがなかった。

その大きな変化の一つが、わたしとの間にひかれた境界線。

わたしたちはすごく仲がいい。
仲が良すぎてたぶん、共依存的なところがある。
というか、この10年あまり、共依存にでもならないと、正直やってこれなかった。
でも、ここで起きた大きな変化により、彼は「あなたが私ではないように、私もあなたではない」ということが初めて腑に落ちたようだった。
文字にすると当たり前だけど、これは誰かに言われて「そうか」と受け入れることができないものだと思う。
ずっと生きづらさを抱えてきた彼が、自分の頭と体でそう思えるようになる、様々なプロセスを経て、人生で初めて獲得したものだと思う。

私は本当にうれしい。
境界線を引くのは、自分を守る、自分を大切にする第一歩だと思う。
境界線がないと、自分以外の人に起こったものも自分のなかに丸ごと受け入れてしまうため、自分自身がボロボロになってしまう。
逆に、自分の感じたものを丸ごと他人と共有しようとするので、自分と同じ感情になってくれない他人に失望し傷ついてしまう。
その根本的な原因は、自己肯定感の低さだ。
自分を低い場所に置いてしまうので、自分以外のすべてを受け入れなければという考え方になってしまう。
自分の感情に自信がないので、他者からの全肯定を望んでしまう。

それは、自分以外の人から見たら、明らかなのかもしれない。
でも、自分で気づかない人にいくら周りから訴えかけても、正直何を言っているかわからないんだと思う。
自己肯定感の低さは、自分で気づいていくしかない。
旦那さんを見ていると本当にそう思う。

私との、そしてそのほかの人との境界線を引き始めた彼は、短期間のうちに、精神的に安定してきている。
とてもうれしい。
自分を大事にしようって、やっと心から思えるようになったんだね。
おめでとう。

実は旦那さん、介護でまた、職を失ってしまいました。
また、ここから、二人で新しく始めます。

しばらくは、内容も、テンションも、日によって波のあるブログになりそうです。
なんだか、ブログって一貫性のあるものではなくてはならない気がしていて、書きたいけどかけない、書いていいのかわからない、そんな気持ちを抱えていましたが、しばらく自分のためだけに、ただ書いていくことにしました。

サブブログが周りでにぎわっているけど、私は皆の言うサブがメインなのだ。
というか、それしかないのだ。

基本的には、2人ともだいぶ元気です。

相変わらず二人であっちに流れ、こっちに流れではありますが、頑張っていこうと思っています。
また、よろしくお願いします。