いっぽいっぽ日記

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いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

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「何者にもなれないわたし」を少し好きになってきた

考えた事・思った事

こんにちは、やまたろうです。

わたしは、自分の性格がずっと嫌いでした。

自分がない、何かに熱くなれないこと

あげだすとキリがないのですが、
特に嫌いだったのは「何にも熱くなれないこと」。

どこか冷めているというか、
他人事というか。

「絶対に一生かけてでもこの仕事をやる!!」という対象がない。
「○○だったら自分の休みをすべて費やしても楽しめる!!」という趣味がない。
「あいつは友達だ!!何が何でもあいつを救い出す!!」みたいな気概もない。

なんとなく、生きてるだけ。

仕事に関して熱く語る人、趣味を全力で楽しんでいる人は、とてもキラキラ輝いて見えて、うらやましい。
だから、取り立てて趣味もなく仕事にもそんなに情熱のない自分は、なんて自分がなくて、空っぽで、面白味がなく人間味がなく薄くつまらない人間なんだろうと思っていました。

「風のように生きるひと」

昔勤めていた職場で、尊敬する先輩から、おーなり由子さんのエッセイをプレゼントされたことがあります。
その中に、下記のような一文があります。
もう10年くらいその本を開いていないので詳細はおぼろげですが、

「風のように生きる人がいる。つかみどころのない人。近づいてきたかと思えば、ふっといなくなる。~」

わたしはまさしくこの「風のように生きる人」だなあと痛切に感じて、悪い意味で心に強く残った言葉でした。

だけど最近、「風のような自分」もいいんじゃないかと思えてきたんです。

生きる過程で「自分がない」なんて、「とるに足らないこと」

きっかけの一つは、瞑想を学ぶ過程で仏教についても少し触れたこと。
昨日ちょうど、旦那さんがこんなことを言っていました。
「生きるために、生きてるんだなって最近思う」
わたしもそう思います。
生老病死、この世に生まれたことや死んでいくことは、自分で決めることではない。
ただ縁あってこの世に生かされているのだから、自分にできることは、その生に向き合って一瞬一瞬を生きていくことしかないなって思います。

だから、その生きる過程で、何か大きなことを成し遂げたり、趣味を楽しんだり、仕事を頑張ったり、たくさん旅行に行ったり、たくさんの人と会ったり、自給自足をしたり、
会社と家の往復だけだったり、一生家から出なかったり、家でテレビを観るだけだったり、ネットしたり、着飾ったり、仕事をやめたり、休んだり、悩んだり、別れたり、惰性で付き合ったり、何もしなかったり、
そういうことは、「おまけ」で「とるに足らないこと」なのかもしれないと。

精一杯頑張っている人や楽しんでいる人を否定するわけではありません。とても素晴らしいと思います。楽しんでいる人から出るオーラは周りもポジティブにします。
だからといって、「何者にもなれないわたし」「これが私です、というものがないわたし」を否定する必要はないということが、最近やっと肚におちてきたんです。それは「とるに足らないこと」なんだと。

「何者でもないわたし」→「何者にでもなれるわたし」

また、親族の不幸や入院・介護などを立て続けに経験したことも大きなきっかけとなりました。
わたしはとてもキャパが少なくシングルタスクしかできない人間です。
わたしは、親族のお通夜やお葬式に関しては、全力で「今までの人間関係やしがらみはいったん無視して、大好きな人のために最後にできるお手伝いを全力で行う人間」になれました。
家族の入院と介護に関しては、全力で「仕事は忘れて、入院生活を送る人、介護される人がなるだけ今以上にストレスを抱えないよう配慮し、今後の生活も支障がないように関係各所と調整する人間」になれました。
その生活が落ち着いたとき、「慣れない生活でストレスがたまり疲れた旦那さんのよきパートナーに戻ること」ができました。

もう一度言いますが私はシングルタスクしかできない人間です。
もしわたしが仕事や趣味に並々ならぬ情熱を傾けていた場合、ここ最近で起こった出来事は私にとって「とてつもないストレス」としてのしかかったことでしょう。
(もちろん、自分の生きがいや楽しみを持ちながら、人生の様々な困難も対処できる人もたくさんいると思います。あくまで私の場合。)

このような経験をして、「何者でもないわたし」でよかったなと思ったのです。
何者でもないということは、時々に応じて「何者にでもなれるわたし」だと思ったのです。

「なんでもない自分」でもいいんじゃないか

今の時代、「わたしはこんな人間です」とハッキリ表明できないと、なんとなく「自分には何もない」なんてしょんぼりしてしまうことも多いと思います。
誰もが「自分のやりたいことを見つける」とか「自分磨き」に余念がない。
でも、それが苦手だったら、「なんでもない自分」のままでもいいんじゃないかと、「何でもない自分」もそんなに悪くないよと、いったん認めてしまうと、少しだけ楽になれるんじゃないかなあと思います。

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