いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

私は知らない人生がいい

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会社の人と話していると、やっぱり人間同士の話が多くなります。
知らなかったこととかをいろいろ知って、その時は「え!そうなんだ~」って少し興奮したりもするけれど。
後で考えると、その情報、特に知らなくてもよかったな…っていうほうが、私には多い気がします。

人の情報や属性を知ることって、正直何が面白いかわからないです。
昔からの習性?なのか、その情報を知ったときは興奮するし、自分だけ知らなかったりしたらなんか落ち込んだりするんですけどね。
少し経ってふりかえったら、自分がそんな感情になったことを忘れています。
なのに、そんな人間関係の話題をよく耳にするのは、その話題が面白い、というのが一般的なんだろうなと思います。
その感覚がわからないから、なんか昔からちょっと寂しいです。

仲良くなった人と話す「その人のこと」はとても面白いです。
でも職場で不特定多数の人と話すことは、それとは違います。当事者のことをしゃべっている時間なんてほとんどなくて、その場にいない誰かのことが多いから。

なんとなく、社内の人間関係に精通している人って昔から一定数いて、そういう事情通の人は、そうなることで何か利を得ていることがあるかもしれないです。
でも私はその活用法がわかんないです。
あと、いろんな人から相談される人、すごく素敵だと思いますが、自分はそうなれない。誰かの力になれないので、事情を知っていても私が誰かの役に立つことはないし。

何かを知る前と知った後、振り返ってみても、特に何か良くなったとか得をしたとか楽しくなったとか、ありません。
知った後、どうしてもその目線でその人を見てしまうようになった、という切ない体験ならあります。
不要な色眼鏡ゲット…

私は、全然会話できないほうだけど、だから、そんな機会はめったに来ないけど、
本人から直接聞けた意外な素顔、っていうのが一番興奮します(笑)
会社では見せない、趣味や嗜好や、考え方。
誰にもつながらない、その人だけの情報。
それなら好きです。

人間関係を把握してなくて訪れる、微妙な空気って時々あります。
若いころはそれがとても恥ずかしいことに思えてて、知らないことをとりつくろったり、委縮して引っ込み思案になったりしてました。
今は、そんなことありません。あまり空気読みません。へえ知らない!そうなのお、って、わざと大声で言う。この人は何も知らない人って思われたほうが楽です。

もっと若いときにこのことをわかっていればなあと思います。いろんなこと気にしすぎてた。
社内の人間関係を知ってることでなんだか偉そうにしているやつ、そんなもの今だけですよ~、結局スキル上げて仕事上のコミュニケーションがさくっととれて、しがらみなくいつも落ち着いてて、どの派にも属さない平社員が一番、楽。
ただ、上に上がっていきたいなら、適度に関係おさえてがんばれ、仕事以上にそっちのスキル磨け。
…と、いま人間関係で無理している人に言いたいです。
結局、人間関係的なことは得意な人好きな人に任せておくのが一番良い。それで出世が決まるなら、そういう会社ということで、そういう会社への適応力をつけて上に行くか、ある程度の距離をとって、それに卑屈にならず楽なポジションで仕事するか。

会社は縁と運。そう思うので、自分が苦手な立ち位置からは降りていいし、好きなことには集中したほうがいいと思います。
縁と運は、多分ラクな法に流れていくと思うのです。

私は知らない人生がいいです。
風のような人で結構。
心から大事と思える人へ、いつでも舞い戻れるように、軽やかに生きていきたいです。


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友達に質問状(インタビュー)を送ってみた

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最近、友達が40歳になりました。

女性の40歳って、いろいろな思いがあります。
年齢が、ただの数字と分かっていても。

私はその友達と「凛とした婦人会」というのを勝手に結成していて、
度々その会合でも「40歳になったらどうしたい、こうしたい」みたいな話を取り上げているのですが。

いま、この節目の時を、後から振り返ること。
そして、ここから未来に向かって、どのような道をたどりたいか考えること。
その意味が大きいような気がします。

そこで、友達に、簡単な質問状を送ってみました。
雑誌などでよくみる感じで、思い付きでいくつかの質問を考えて、レポート用紙に書き、友達が答えを書き込むための余白を入れました。

もちろん、これにすべて回答しなくていいし、回答しても私に返送する必要もないことを書き添えて。

私自身強くそうなんですが、自分のことって、自分一人で考えていると全然わからなくないですか。
そんなとき、だれかインタビューしてくれたらいいのになあと思っていて。
だから、(その友達は私よりかなりはっきり自分のことをちゃんと考えれる人なんだけど、)私からインタビューしてみようと思い立ちました。

受け取った友達が、お茶でも飲みながら、素敵な未来を思い描いてくれたらいいな。
30代を振り返って、味わい深い気持ちになってくれたらいいな。
そして、この質問にどう答えたかを、1年後、10年後、たのしくおかしく振り返ってくれたらいいなと思います。

私もそのうち、自分で答えてみようと思います。


以下、質問の備忘録です。
時間のある方、ひといきついて、考えてみると楽しいかもしれません。

<仕事>
・30代は、どんな仕事をしましたか。
・仕事において重要なことは何だと思いますか。
・40代からは、どんな働き方をしたいですか。
・尊敬できる仕事仲間、著名人はいますか。

<生活>
・30代は、心身の状態はどうでしたか。
・生活するうえで大事にしたいことは何ですか。
・40代では、どんな生活をしたいですか。
・現在の、好きな食べ物・飲み物は何ですか。
・行ってよかった場所はどこですか。
・よかった本・映画・絵・音楽は何ですか。
・あこがれる人は誰ですか。
・どんな部屋に住みたいですか。

<その他>
・30代の自分へのメッセージをどうぞ。
・40代の自分へのメッセージをどうぞ。
・その他、なんでも言いたいことをどうぞ。


さすが伊東屋。リーガルバッドかわいいです


友達に自作新聞を送ってみた

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グループラインでよく話をする友達に、思い付きで、「新聞」を作って送付してみました。

といっても、A41枚に、最近グループラインで話した話題、オンライン飲み会で話したことをまとめたり、
日々のラインでやり取りされた写真、ちょっとしたイラストを添えて、プリントアウトしただけですが…

これを作るのが案外楽しくて。

デジタルデータで作成したので、そのままラインで共有してもよかったのですが、
最近きれいな切手を買うのが楽しくて、つい色々買っているので、それを使いたいなと思いまして。
また、こうやって気軽にネットでやり取りできる時代に、ポストに届くアナログな「新聞」って、なんかいいなって。

学級通信や、サークルの会報。
そういうのが、昔から大好きだったんですよね。
長らく、自分が楽しみにしていて好きだったことを素直に考える機会を持てずにいましたが、
やっと、そういう感覚を大事にするときが来たかな、と感じています。

少し前から「新聞」作りたいなってぼやっと思っていて、やっと実行に移してみて、案外作るのが難しいなと思いました。
見栄えをよくしたり、コマ割りしたり、テーマを決めたり見出しを考えたり…
いろいろ考えるとどんどん作業が進まなくなるので、まずは完成することを第一に考えたら、
とても読みにくいものが出来上がってしまいました(笑)。
それでも、完成したこと自体がうれしかたので、徐々にレベルアップして、きれいで楽しい新聞を作っていきたいなと思います。

友達の反応が楽しみです。


レターセットの詰め合わせってワクワクします


バレットジャーナルを1年続けてよかったこと

昨年1月から本格的にバレットジャーナルを始めました。


バレットジャーナルとは、簡単に言うと、まっさらなノートに自分で日付を記入して、1年・1月・1日等のスパンでタスクを管理するものです。タスクはすべて箇条書きで記入していきます。

私はNOLTYノートを使用しています。

NOLTY notebook|NOLTY®|JMAM 日本能率協会マネジメントセンター

・私の記入ペースだと、1日1ページ、半年で一冊使い終わり、区切りが良い
・シンプルな表紙なので職場・客先で出しても問題ない
・ページ番号が振ってある
このあたりが使い勝手が良いです。

まず冒頭の「バレットジャーナル」という本を読んで始めました。
超ずぼらな私でも1年続けることができたので、この方法は自分に合っているんだなと思います。

バレットジャーナルを1年続けてよかったことがいくつかあります。

なんでも「これ1冊あれば」という安心感がある

私は ずぼら・飽きやす・管理が苦手 と3拍子そろっているので、持ち物はなるべくシンプルで少なくしなければ途中で投げ出してしまいます。
「読書ノート」「メモ帳」「スケジュール帳」そのほか何でも、この1冊にどんどん書いていけるので、「なんでもこれに書けばいいし、飽きたら続ける必要もない(次ページからまた別のこと書いてもいい)」という安心感があり、これが、私が続けていける第一の理由です。
仕事もプライベートも分けず、スケジュールもやりたいこともやったことも考え事もひらめいたことも後で調べたいことも体調も、思いついたときに思い付いたことを開いたページになんでも書くことにしているので、とりあえず日々のことはなんでもこの1冊に書いてあるし、書けばいい!
とても気楽です。

空白のページがないので、自己肯定感が下がらない

スケジュール帳などのあらかじめ決められた用途に使うものだと、なんだか「空白を埋めなければいけない」という変な強迫観念が出てきませんか。
私はバレットジャーナルの前はほぼ日手帳を使っていたのですが、基本的にめんどくさがりなので、何日も書かなかったりすることがありました。
真っ白いページが増えていくのを見て、情けないやら悲しいやら…
「何しても継続できないな」と突きつけられている気がして、変に自己肯定感を下げていました。
バレットジャーナルは、書かなければ書かないで、期間が開いても空白のページが増えません。
「また始めよう」と思ったら、前回書いたその次のページから、気軽に始めることができます。
「空白が産まれない」のです。
私は基本的に土日はバレットジャーナルを書きませんが、「土日のページ」はもともとないので、書かないことが気になりません。
また、この数か月は精神的にあまり万全ではなくて、やる気のない毎日を過ごし、平日も1ページ埋まらないということが続いていましたが、
たとえその日1行しか書かなくても、2行目から次の日に使えばいいので、書けなかったと悩むことが少なかったです。
「続かない」ことを変に気にしなくてよくなったので、結果的に気負わず続けていけるのだと思います。

振り返りが楽しい

これは1年続けてみての感想なのですが、1年で2冊使い切った達成感はなかなかのものです。
バレットジャーナルで最も重要なことは「振り返り」だと思います。
1日、1か月、終わってみてどうだったかということを検討することで、未来を具体的に思い描くことができる。
自分に必要なもの、そうじゃないものがわかってくる。
…そうわかっていても、私は実際はなかなか日々の振り返りをじっくりすることができなかったのですが(笑)
1年続けてみたものを振り返ると、毎日の試行錯誤、なんでもない日の記録、無謀な計画(笑)、ちょっとずつ減った体重の記録など、
さすが1年、いろいろあったんだな、頑張ってきたんだなっていう振り返る楽しみが持てます。
特に昨年は今までで一番真剣にお金の管理と貯蓄計画をしっかり考えたのですが、先日1年の総決算を書き込み、大きな達成感を味わいました。
貯蓄計画は、突然の避けられない出費が続いて計画通りとはいかなかったのですが、
バレットジャーナルと家計簿をしっかり付けたおかげで、未達の原因がはっきり数値でわかるし、むしろその出費を差し引いた貯蓄額は計画を上回り順調だったことを確認でき、大きな自信になりました。
また、家計管理に全く関心のない夫にも、我が家の決算報告をばばーんと発表できたおかげで、今年の収支計画に興味を持ってもらえたようで、とてもうれしいです。
読んで内容を残しておきたい本も、読書ノートを1冊につき2ページにまとめるようにしていたので、そのページを見直すのが楽しかったです。
別の「読書ノート」を作ってしまっていたら、私レベルになると、それを取り出すことすらめんどくさがるので、多分書いても振り返らなかったと思います(笑)。


今年ももちろんバレットジャーナルを続けていきます。

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昨年はグレーホワイトの表紙、今年はカラー展開が豊富にそろえてあり、桜色のような薄いピンクを選んでみました!
最近少し心の調子が上向いてきたので、少しずつ、今年のバレットジャーナルをセットアップしていきたいと思います。


yamayamaring.hatenablog.jp

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互助の精神

結局必要なのは「助け合う気持ち」なのだと思います。

募金とか、介護とか、炊き出しとか、そういうたいそうなものではなく(もちろんとても大事ですが)、
今すぐできる小さな助け合い。

一番小さくてでも一番うれしいもの。「気のかけあい」?

「あなたのこと少し心配に思ってるよ」
「あなたの頑張ってること見てるよ」
「あなたのうれしい出来事、私までうれしいよ」
「あなたの悲しむ気持ち、何もできないけど思ってるよ」

今年は特に、こういった「気にかけてくれる」ということがなによりありがたかったです。
だから、自分も、たとえ「ちょっとしたこと」でも、すぐ相手に伝えたい。躊躇したくない、出し惜しみしたくない。

人生も中盤に差し掛かってくると、いろんなことをそれぞれ背負っていて、人生の舞台も二転三転していて、逆にずっととどまらざるをえなかったり、
ほんとうに、いろいろ。人生いろいろです。
人は真に一人だと身に沁みています。
真に一人だから、基本的に寂しいから、そこはお互い、いろいろあるけど、慰めあいたい。
言葉で、贈り物で、態度で、「お互いの背中をさすって」生き延びていきたいです。

今かかわってくれているすべての人に、背中をさすってお疲れ様、と言いたいです。
皆様、わたしも、よくぞ今年も生き抜きました。
明日はクリスマスイブですね。


大好きな番組

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気が合うのは、年上ですか?年下ですか?私は圧倒的に年上です

人間関係のことを引き続き考えています。

先日のオンライン飲み会でも、私が2次会に誘われてついていくのは、年上のお姉さんです。
前の職場で、勤務中も退職した後も関係が続くのは、年上のお姉さんたちでした。
今の職場で勤務地かかわるときも、親密な送別会に集まってくれたのは年上の人ばかりでした。

職場でもプライベートでも恋愛でも、自分より年下のひとと親密になったことがありません。

例外と言える人、もいるにはいます。
一人は職場の年の離れた男の子。こんなに出不精で引っ込み思案な私を、飲み会やゲーム会(!)に誘ってくれる人。
男の人で、年下の人、私の不慣れな要素が合わさっていますが、なぜか気兼ねなくおしゃべりできます。2人で飲むこともありました。
あとは、ブログを通じて知り合った年下の人たち。先にブログで私の特性を知ったうえで接してくれているので、楽しくおしゃべりできます。でもたぶん、世間一般的には特殊な出会い方。

人をカテゴリ分けして考えることはあまりよくないのかもしれません。
けど、目を背けられないほど、私は圧倒的に「年上の人と仲良くなることが多い」です。
その理由を考えてみました。

・話が合う
昔から、年上の人とは比較的自然に話すことができます。
話していると「やまたろうちゃんはずいぶん年下なのに、そんな感じがしないわぁ」と言われます。
今はもう、おばちゃんと胸を張って言える年齢なのでいわゆる私も「年上の女性」グループなのですが、
20代のころから、そう言われてきました。
私は、同世代より上の年齢の人の話す話題や雰囲気を好んでいると思います。
なぜそうなったのかは、自分でもわかりません…

・自分が楽
私は気を遣うことがへたくそです。
年上の人は、多くが、きちんと自分のやりたいことを主張してくれます。
なので、私なんかが気を遣わずとも、彼ら彼女らは、きちんと自分の責任で気持ちよく過ごしてくれるのです。
それが楽だということがあると思います。
あ…だから、そういうのと真逆なタイプ(年下だから気を遣って当然と思っている年上の人)からは、避けられていたかもしれませんw気が付いてないだけで。
私自身は何度も書いている通り、自分が何をやりたいかもわかっていないタイプなので、年上の人について行くのは苦になりません。
その場にいるだけで楽しめます。

・内輪話をしない
(今更ですが)私の狭い交友関係でのことなので、一概には言えないです。でも、年上の人は、いつ、だれでも入れるような話題作りが上手だなあと思います。
私、ぼーっとしているタイプなので、周りの人たちの人間関係に疎いのです。
誰それがどの人と仲が良くて、実は最近あの人は〇〇なことがあって、そろそろ人事ではあの人は〇〇になりそうだ…そか、そういった情報を一切持っていません。
私にとって、誰かについて話すとき、前提とする情報が多すぎるのです。
だから、話題が人間関係や特定の人のものになると、話題についていけなくなります。
もちろん、年上の人たちだってそういう話題は好きかもしれませんが、それ「だけ」を話す人はいないかな、と感じます。

・相手に余裕がある
さきほど「年下なのに、そんな感じがしない」と言われる、と書きました。
でも違うんです。(どっちだよ)
私が年上の人と落ち着いて話ができるのは、圧倒的に「年上の人に余裕がある」からなんです。
会話が苦手な私と会話を続けることは、実は多くの人にとって苦痛なんじゃないかなあと、いつも心配しています。
私に余裕がないので、同年代や年下の人は、その余裕のない会話を受けるのは大変だろうなと思います。
だから、必然的に余裕のある年上の人が最終的には受け入れてくれるのかなと…
たぶん、生意気なことも知ったかぶったことも、いっちょまえに話していると思うんです、私。
でもそれを受け入れる余裕があるから、うまく受け止め、流してくれるんだと思います。
あー書いてて申し訳なくて泣けてきた、そして本当にありがとうという気持ちです(笑)。

・いい子キャラでいることを許してくれる
私はいわゆる「聞き分けのいい子」だということは別の記事にも書きましたけど、それが同年代や年下の人だとどうにもイラつくキャラなんじゃないかと思います。
実際はそんなことないのに、余裕ぶったり、わかるふりをしたり、従順なそぶりを見せたり…
そんな私のキャラ付けを、キャラ付けさせたままでいさせてくれるんです。
多分、私の本当の中身はそんなことない、年相応もしくはそれより幼稚な人であることは、お見通しだと思うんですよ。
でもそれをわかってて、そのままでいさせてくれる、懐の深さがあります。
私が楽に演じられる服を脱げと言ってきたりしないのです。
なんだかんだ言って、いい子キャラで生きてきた私はいまのところそれが一番楽なスタンスなんです。

**
そんなわけで、今回は「年上と年下、どちらに気の合う人が多いか」ということを思いつくまま書いてみました。
私が極端に年上好き(語弊あり)なので、逆に「年下としか気が合わない」っていうひとの話を聞いてみたいですね。
私が年上好き(語弊あり)なせいで、なんか年下サゲみたいな雰囲気になっちゃったけど、そういうことじゃないんです。
だって、逆側から見れば、年下と気の合う人ってなんて素敵なんだろう、ということになるんですよ。
つたない予想ですが、年下と気の合う人って、余裕があってちゃんと成熟してて、堂々と生きてる人なんじゃないですかね。
うーん、気持ちがいいくらい真逆だ(笑)

今日はこの辺で。

あきらめ癖をなくしたい、でもめんどくさいという葛藤

多分ですよ。
あきらめない方が、人生楽しいし、道も開けるし、生活もよくなると思うんです。
頭では、思うんです。
あこがれるんです。

でも、どうしても「めんどくさい」が昔からの本音です。
恥ずかしいですが、「自分がわからないよ~~~」といっている私の唯一の確固たる信念、行動原理、
それは「めんどくさい」です。胸張って言えます…。

最近は、「あきらめる」に関しては、いいとか悪いとかでいうと、なんかニュートラルな位置に来たなあって思います。
ひとむかし前の「あきらめる=悪」という印象は濃くはないと思います。
でも、なんだろう、「ポジティブな動機であきらめる」ことは市民権を得ているけど、
「めんどくさいからあきらめる」って、全然ダメじゃん、という空気をひしひし感じる。
し、自分は、「ポジティブにあきらめる」フリして「本当は、めんどくさいからあきらめている」を隠して隠して生きてきた気がします。

なぜ、こんなに「めんどくさい」と思うのかわかりません。
性格だ、で済む話かも。
それにしても私の「めんどくさい」という行動指針は常軌を逸している気がしてなりません…
自分がわからないで今結局苦しんでいるのも、「自分の本当の声を聴くのがめんどくさくてあきらめた」からなのかと思っています。
人によるんでしょうけど、私にとっては、自分の感情を考えることが本当にめんどくさかったのです。

なんでそんな大事なことまで「めんどくさい」と思うようになったのか、本当のところはわかりません。
後付けで自分以外を原因とするならば、おそらく、小さいころにたくさんの「あきらめる」を経験したので、
なんかもう色々変えようとすること、挑戦すること、自分のやりたいことを続けること、とうとう自分自身の本当の感情を感じることすら、「めんどくさい」って思うようになったのかな、と思います。
あきらめる→めんどくさくなる→あきらめる→めんどくさくなる…のループ。
すぐあきらめちゃう。「聞き分けのいい子」でした。

あきらめる、と、めんどくさい、って、自分にとってもう剥がすことのできない鎖なのかなと思います。
鎖っていうとあたかも誰かにぐるぐる巻きにされたような、他人のせいみたいな言葉ですけど。
もし最初がそうであったとしても、その生き方を選び続けたのは自分の責任なのだと思います。
たいていのことは、あきらめると楽なんですよね、正直。

どうしたらいいんだろう。
考えがまとまりません。
「めんどくさい」がなくなる方法、みたいな本を読んだこともあります。
習慣を変えたり家電を買ったりして、できるようになったこともあります。
でも、「めんどくさい」という感情がなくなったわけではないです。
そもそも、自分が本当にやりたいと心から思っていることって、「めんどくさい」より先にきますよね?
そういうものなんですよね?
自分は「本当にやりたいことを考えることすらめんどくさい」と(認めたくないですが)思っているのでしょう。
だからいつまでたっても「自分がわからない~」なんて言ってるんだと思います。

もういい加減自分のことをちゃんと見てあげたいからあきらめたくはないんだけど、癖で、パっと思ったことに無意識に何重にも蓋をかぶせてすぐ隠しちゃうんですよね。
自分からも隠しちゃう。
それを1枚1枚剥ぐのがめんどくさくて、もういいや、あきらめようってなってしまう。
ダメだって頭ではわかっていても、長年の癖はなかなか抜けません。
たいていの重要でないことはあきらめていいと思うんですけど、大事な部分は大事にしたいです。でも...という葛藤。

いっそのこと、「私は自分のやりたいことが手に取るようにわかります!」という人と脳を取り換える体験ができればいいのに(どこまでも他人任せ)。
そもそも私の「自分の感情は自分なんだから当然わかるはずだ」というのも思い込みなのでしょうか?
それに「自分のやりたいことはハッキリわかるはずだし絶対あるはずだ」というのも極端な思い込みかも?
色々頭で考えだすとこんがらがってきます。
「考えるな感じろ」がいかに難しいことか。
いやいやそれも、私は割と「これやりたい」とライトに手を付けることもあるし…そうすると案外その時の感情には素直になっているので、それでいいのか…?
ほらほら、どんどんややこしや~ややこしや~~~~。
私自体がめんどくさい存在だな(笑)まとまらないので今日はこの辺で。