いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

ホラーで哲学でファンタジーだけど、私と地続きでいるような感覚。吉本ばなな「吹上奇譚」

日曜日を1日使って、読書をしました。
「読書の秋」とはよくいったものですね。
夏のうだるような暑さや、クーラーのきいた部屋。
そのどちらでも、本を読む気になれなかったけれど、
窓を開けて、外のいろんな音を聞きながら、涼しい風を感じながらだと、
すいすいとページをめくることができます。
これからどんどん暑くなるぞ!っていう、『解放感』を感じる春と違って、今から寒さ厳しい冬になるぞ、家にこもってぬくぬくする季節だぞ、
という『巣ごもり感』を感じる秋の方が、読書欲が高まります。

もともとは夫が読みたいといっていたのだけど、私が先に読んじゃいました。

吉本ばなな『吹上奇譚』。
現在発売されているのは2冊です。
1冊目:1話「ミミとこだち」
2冊目:2話「どんぶり」

前後編かな?と思っていましたが、1冊ごとに物語が完結しています。
登場人物は一緒です。
シリーズは続く予定のようで、著者あとがきでは3冊目「ざしきわらし」の発行が明記されています。
今から楽しみ!
すっかり吹上町の物語にハマってしまいました。

本の紹介↓

その街では、死者も生き返る。

現実を夢で知る「夢見」。
そして屍人を自在に動かす「屍人使い」。
二つの能力を私は持っている。

吉本ばなながついに描いた渾身の哲学ホラー。書き下ろし長編。

「この物語は、50年かけて会得した、読んだ人の心に命の水のように染み込んで、
魔法をもたらすような秘密の書き方をしています。もしよかったら、このくせのある、
不器用な人たちを心の友にしてあげてください。
この人たちは私が創った人たちではなく、あの街で今日も生きているのです」

※※以下、感想と本の引用があります。ほんのりネタバレ感あります。※※

「吹上奇譚」感想。ホラーとファンタジーと哲学とリアリティの絶妙なミックス感。

ホラー1割

私は本格的なホラーものは苦手。
吹上奇譚には微ホラー要素が含まれますが、それが物語の主軸ではないので、スパイスが効くように時折「ぞわ」っとする程度。
「屍体」という文字や、それにまつわる臭いの描写、昔行われていたことに対するベールに包んだ伝え方など。
物語の舞台が日本で、拒否感は起きません、むしろ心地よいホラー感?

小野不由美の「屍鬼」は好きなので、そのくらいの日本のホラーは大丈夫でした。
でも、どこかにありそうっていうリアリティはしっかり感じました。

ファンタジー4割

思いのほかファンタジー感強め。(まあ私が前知識なく読んだからであって本来はファンタジー小説という位置づけだと思います。吉本ばななの小説、というフィルターで読んだので驚いただけ)
ファンタジー好きなので、抵抗なく読めました。
村上春樹の冷たさや角をそぎ落として性描写を極極薄にしたような感じ。
詳しくは語られないのですがこれまた「ありそう」というわくわく感があります。
ファンタジー定番の、特殊能力・老婆・幼女・除霊・獣っぽい人・占い・異世界・眠り人・運命の出会い。
ふんだんに詰め込まれてるけど、やはり「どこかにありそう」なところがすごい!

リアリティ4割

ここまでファンタジーなのにどこかで実際に起こってそうなリアリティ。

食べ物にまつわる描写は本当にすごい。
食べたい。
物語のすべての食べ物を食べたい!絶対どこかにあるでしょう教えて!!
ってなっちゃいます。
アイスクリームに台湾料理にどんぶり。
都会のありきたりなピザに、立ち食いそば。

そして、吹上町に行きたくなります。
物語のあるエピソードから、舞台のモデルは「千葉県館山市」じゃないかなあと思っています。
あと「東京から2時間ちょい電車で到着」って書いてありますし。
断然行ってみたくなりますね、館山市
それでどこかのビルの屋上から、夕焼けの海を見てみたいです。
植物園も、本当にあるのかな?
あったら行ってみたい。
物語に登場する花束も、そこで本当に作られていそう。

登場人物は、主人公のミミと妹こだちの姉妹、そのお母さん、親戚家族、新しくできる友人とその彼女、ミミの彼氏など。
ミミとこだちの姉妹が東京で暮らす描写がみずみずしくてきゅうんとなります。
実は、リアルで私の住んでいるとなりの部屋には仲のよさそうな姉妹が住んでいます。
下で会うと挨拶や「いってらっしゃい」とか声かけてくれる。優しい。
そういうのとか、新宿駅とか、行ったことある場所とかぶってリアリティが増します。

ファンタジーなんだけど、小説の中の人たちはみんな「生活」していて、だからいろんなエピソードがリアル。
ウェイウェイしてないファンタジー(といういい方もどうなんだと思うけど)
ファンタジー要素強めなんだけど、その特殊能力や運命的なものがありつつも、登場人物の動きはあくまで心理的な動機に基づいているので、自分の生活と紐づけて読みやすいです。

哲学1割

ホラーと同じ割合くらいで、絶妙に、ぐっとくる言葉がさらっと登場する。 哲学的なセリフが違和感なく、胸に迫ってきます。

「心の中の絵だけは、どんな状況でも強く描くことができるのです。それが現実に作用しないと、だれに申せましょうか?」


あの花束のような佇まいで生きられたらどんなに潔いだろう。生きているからこのいい香りがかげて、いくらじっと眺めても眺めても、いつまででも生き生きした気持ちで楽しめる、この花束が枯れていく時間さえも大切に思える。そんなあたりまえのことがまるで目が覚めたみたいに思い出せる。


しかし私の人生に新しく登場した良きものとしてのこの花束の写真集は、ひとりになってからの自分が新しく見つけたものだった。日々がちゃんと進んでいると確信できるもの。ただそれだけのことだが、それはたったひとつの小さな希望だった。色褪せた世界の中でただひとつ色がついている何か新しいものの気配。それがあれば人は朝目覚めるのを楽しみにできる、そういうもの。


「暮らしっていつでも、明日も今日と同じようであると思っていると、あれ?っていうちょっとした間にもう全く違う新しい面に入っているんだよね、まるでゲームの面が変わると世界が変わるみたいにさ。」


私の花束のほうが豪華で色とりどりの花が混じっているしずっと大きいのに、その小さな花束のほうが神々しく、私のよりもずっと力強い。人類がなにかを悼むためにあるいは讃えるために花を摘んで花束を作ろうと思った、その最初の気持ちってこれなんだろうなと思った。ひいてはその心はだれかが芸術作品を作って、それが人の心を動かし他の人もそれに接したいと思った最初の状況にもつながる。行政や権力者につながる前の芸術というものの真の姿。私はしみじみと感心した。個人の思いの力ってほんとうにすごいなと改めて思ったのだ。


あの花束と同じものだ。新しい出会い、私だけの私が初めてここにある。そう思った。私は私の人生にほんとうに満足していたけれど、私だけのものはきっとなにひとつなかったのだと、初めて知った。それこそが私が私の人生を取り戻して大人になるということの、ほんとうの始まりだったのかもしれない。


夢が現実になっていく甘い瞬間を私はゆっくりと味わっていた。今は一瞬しかない、もう二度とこの貴重な時間を味わうことはできない。こんな偶然が顔を出す、何かが見つかる瞬間の旨味。


「でもさ、変化があるのが人生ってものじゃないか?更新してくのが。全然、焦ることはないよ。それにずっと見ないで聞かないで考えないようにしていたら、やっぱり楽しくはないよ。それは単にリハビリだったんじゃないかな。いつまでもは続かない。」


この鷹揚な性格でなんにでも慣れてきた。それだけが自分の特技だと思える。慣れるということと、見ないようにすることの差を今はまだはっきりと把握していない。しかしその間には大きな違いがある。私はこれからそれを人生全部の時間をかけてゆっくりと学んでいくつもりだった。


コダマさんがこつこつ作って来た単なるアイスが、カナアマ家と私の母の元々のあまり良くなかった関係をも浄化したのだと思うと、ますます頭の下がる思いだった。人知れずそういうことをしている人がこの世でいちばん美しいと思う。人知れず良いことを続けてそれが結果的にいろいろなことを調律していく、そういうイメージの中で、いやそれさえも持たずに暮らしている人たち。


小さいときに妖怪と呼んだり物陰から住職に石を投げたりした自分を悔やんだ。子どもってそんなふうに正直でしょうがないものだ。住職は別にいい奴ではないけれど、勇気をもって人前に出てあの仕事をやると決めた立派な人だった。そういうことがわかってきたということが、時間が流れているということ。自分が変化しているということ。


私はきっと全身で小さくひたすらに時を止めていたのだろうと思う。そうするしかできなかった自分のことをいとおしく思った。ボクサーが顔の前をガードしながらぎゅっと前かがみになり、大切な内臓を守っているように。なにをやっていたのだろう、私は。世界はこんなにもそのままで目の前にあったのに。そしてあらゆる扉がずっとそこに並んでいたのに。


私たちは食べ、眠り、人生を夢見る。それは人の夢であってはいけない。それぞれが自分の夢を生きて、それを他の人も尊重する。そして他の人の夢も自分の色をつけずに尊重する。それが重なり合って調和していく。それしかできない。


私は私を発揮しよう。私の愛を花束にして私もまたあちこちに、そっと置いてこようと思う。そんな人生にしたい。朽ちても消えない、枯れてもいつか必ず人の心に芽を出す。その代では叶わなくても次の代でなぜか力を発揮し始める。そんなささやかだが強力な魔法の力を人はだれもがきっと持っているのだ。


この人たちにひどいことをしていたのかもしれない、自分の悪いくせも宇宙に溶けていきそうだ。私が私を見る目よりもずっと優しいこの人たちの、ひいき目メガネの中で生きていたい。そうしたらもっと自分を好きになって、この人たちにも、他の大好きな人たちにももっといいことをしてあげられるかもしれない。私もそんなふうに、大目に見たり、許したり。その力が相手を押して、空気が動く。そうやって夢の風が吹いていく方へと変化しては動いていく。自然、宇宙、その戯れ。これが人生。


どれも覚えておきたい大切な言葉になりました。