いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

私が優しくない生き物でよかったと思う

こんにちは、やまたろうです。

熱いうちに素直な気持ちを書いておこうと思います。

私は優しくない。
人のためを思って動くことができない。
だって自分が心からやりたいと思っていないからである。

自分が本当の本当に誰かのために何かをやるときは、誰かのためではない。
その誰かを助けたい、と思っている自分のためにやる。

自分が助けたいから助ける。
これ以外で誰かのために動かない。

その人のことを想って動かない。
その人のことを想って動く場合、「その人のことを想って」の自分の行動に、自分が期待する通りの相手の反応を求めてしまいがちにならないか。
その人が、どんなに気遣われて、どれほど思案してこちらが動いているのかということに気づかない場合、イライラしてしまわないか。
そのイライラは自己都合ではないのか。
イライラさせる相手が悪いのか。そうではないと思う。
勝手に相手を想って相手のために行動したのに自分の思う通りの未来にならなかったことで生じる自分自身の感情の責任であると思う。

無理してまで助けない。
無理をすると必ず体に出る。
本当にやりたいと思ってやっているならば、相手がどう出ても、自分の心と体は安定するものだと思う。

相手のどんな反応も受け取る覚悟がないなら、その人のために動くのをやめる。
自分がどれだけ相手のことを想っても、相手と自分は同一人物ではないから自分が期待する反応が返ってくることを期待してはいけない。

あくまで自分がそうしたいから動く。その後相手がどのように動くのかは相手の決定することなのでこちらからは強制もお願いもできない。

私は冷徹な生き物でよかったと思う。

私の旦那さんは私と真逆なので、相手のことを考えて考えて行動して、その結果によって自分を壊していきます。
今ちょっとそんな状態で、私は、旦那さんのことがとても大切なので、旦那さんのいくら大切な人であろうと旦那さんから離れてほしいと思う。

旦那さんを冷静に見ていると、やさしすぎて、気をまわしすぎて、自分のことのように、怒ったり、いたわったり、立場を考えたり、出しゃばったマネをせずそっと手助けをしている。
でも、状況は旦那さんの思うようによくなってはくれない。
それどころか、気遣った相手からどんどん頼られるようになっていく。
相手の立場を気遣って板挟み役を買って出て、そしたらいつの間にか、挟まっていたはずが、気遣った相手ともう一枚の板が一緒になって旦那さんを圧迫していく、そんな状態。もはや挟まっていない。
でも、だれが悪いわけではない。だって、気遣われていることに気づかないんだもの。
相手を気遣うために動いていたのに、いつのまにかその相手が重荷になっていく。
優しい人は、そうやってからだをこわしていく。

もう、関わるのはやめてと言った。
こちらにできることは十分やれたと思うし、そのあと相手がどうするのかをこちらが決めることはできない、相手が決めることだから、と。

不調になっていく旦那さんを見るのは、私にとってもつらいから、と。
嫌な言い方だ。でも私はうまく伝えるような技術を持っていない。

とりあえず、そういった話し合いをもって、今回の件からはいったん距離を置くことを決めた。
旦那さんがこれ以上体を壊さなければいいなと思います。

私が優しくなくてよかったと思う。
2人とも優しかったら、生活していけない。

本当はわたしも優しくなりたい。
旦那さんの優しさをとても尊敬する。
相手を心から思う気持ちをとても尊敬する。
でも、なれないものはなれない。

私は、私が本当にやりたいと思ったときにしか、誰かを助けることしかできない。

優しくありたい。
優しくなくてよかった。

この2つの気持ちを、私はこれからも抱えていくのだなと思います。

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