こんにちは、やまたろうです。
「だから、何?」
この言葉からどういったイメージを受けますか?
私は、あまりいいイメージを受け取りません。
誰かから、自分の突かれたくない矛盾や怠惰・傲慢なところを指摘されたときに、自分を内省することなく、一方的に話し合いを放棄してしまう。そんな独りよがりなイメージを持っています。
端的に言うと「だから、何?」は強く悪いイメージでした。
で、ほんとに小さな話なんですけど。
私、今朝、駅の階段を使うのをめんどくさく感じてしまって、「今日はエスカレーターでいっか」って思ったんですね。
なまけたくなってしまったのは、残業してるからです。
望んでやってることとはいえ、どこかでそれを免罪符にして、他の「やりたくないな~、だけどやらないとな」と思ってやっている、本当はやりたくないことをバサバサ切っていこうとしていることに気づきました。 私、すぐラクしようとするんですよ(笑)
電車から降りて階段到着までの間のわずかな間に、脳の中でダラダラしたい私(ダラやま)と生活習慣をかえたくない私(シャキやま)が会話したのがわかりました。
ダラやま「今階段を使わないことなんて些細なことじゃないか。」
ダラやま「残業してるしそのくらいさぼったっていいじゃん」
シャキやま「いやいや、それ今までと一緒じゃん。階段を使うか使わないかが『些細な事』なら、別に残業してても階段使うことくらいできるでしょ」
ダラやま「いやいやいや、階段のぼるの、地味にきっついやん。今少しでもラクしようよ!」
シャキやま「だから何?」
シャキやま「今きついからって、何?そのきつさ、今日ずっと続くわけ?」
シャキやま「階段のぼったからって、残業に何か差し支えるわけ?」
シャキやま「階段をのぼることは、毎日続ければそれだけで健康に貢献するよ」
シャキやま「それよりアナタ、いままでさんざん『ついでのひと手間を続けるむずかしさ』に苦しめられたよね?」
シャキやま「今階段をのぼらないことで今は楽になるだろうよ。でも、果たして明日は階段をのぼるかしら?」
シャキやま「残業がなくなっても、アナタは階段をのぼることを再開するのかしら?」
シャキやま「再開するエネルギーより続けるエネルギーの方が少なくて済むって、身をもって学んだよね?」
シャキやま「たかが階段、されど階段!こういう小さい選択の積み重ねが、アナタの今を作ってきたのよ!」
シャキやま「目先のラクではなくて、アナタにとっての本当に心地よい生活を実現させてくれる選択は、どっち?もうわかってるんでしょ???!!」
ダラやま「シュウウウウウウウウ」(消滅)
そんな脳内バトルをしている間に、階段、のぼりおわっていました(笑)
我ながら、階段をのぼるのぼらないなんて小さなことでよくこんな妄想が繰り広げられるな~とあきれてしまいますが、今日はその妄想力が役に立ちました。
今日注目したいのは、脳内シャキやまの「だから、何?」です。
この一言で、わたしの中のダラやまは怖気づき、シャキやまはノリノリになっていきました。
自分以外にこの言葉を使うのはよくありませんが、自分のなかの、ダラけたい、怠けたい、やりたくない、やった方がいいんだけどついつい逃げてしまいそうな、ネガティブな気持ちに対しては、「だから何?」というパワーワードは便利だと思いました。
「だから、何?」が持つ、一刀両断バッサリ切りますみたいなパワーを、自分の本当は望んでいないネガティブな思考にぶつけてあげること。
結構面白いし、タメになりそうです。
でも、わたしみたいにしょっちゅう脳内妄想してるとそれはそれでアレなので、モーニングページや日記などにさんざんネガティブなワードを書きまくった末に、赤文字で大きく
だから、何?
と書いてみるのも、いいかもしれません!
「だから、何?」を、ポジティブな自分の味方につけましょう♪