いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

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4月はリスタート。新しい出会いで満たされて

春になったら新しくスタートする。
そう決めて、まずは色々な人に会おうと決めた。

2017年から2018年にかけての冬に、自分の体と心が不調になってしまったが、気候も良くなり、問題とも距離を取っていることで少しづつ回復してきた。
色々なことがなくなったり壊れたりしたけど、「私はいつまでもここにいない、また新しく始めよう」と思った。
今までの人間関係から外に出て、色々な人に会おうと決めた。とにかく今の状況が嫌で仕方がなかったのだと思う。
「新しい関係」「違う世界」を追い求めていた。
そういうものと出会うことで、違う自分になれると思っていたのかもしれない。


会いたかった人に会う

ブロガーのにゃんすさん(id:nyansu-nyan)と、4月の初めにお会いした。
初めてブログでつながった人と会う、私にとっては最大級に緊張すること。初めてはにゃんすさんと、ずいぶん前から(勝手に)決めていた。
今年、桜が咲いたら連絡すると決めていて、3月末の福岡の桜の開花に合わせて思い切ってお誘いした。
私のこんなズタボロの時期に申し訳ないと思いつつ、会いたい思いを優先させてもらった。
当日は、ひたすら神社やお寺や花を見て歩いた。
結果めちゃくちゃ歩かせることとなってしまい、申し訳なかった。しかしにゃんすさんはびくともしていないように見えた。私は腰が痛くなって途中休ませていただいた。
私は多分とても緊張していてうまく話せなかったけど、にゃんすさんとだと不思議と、沈黙しても大丈夫かもしれないと感じて、おそらくにゃんすさんはどんな時でもにゃんすさんを貫くんだろうなって、頼もしく思った。そういう雰囲気を勝手に感じたので、私も私を装わずいれたんだと思う。
誰かと会うのにこんなにワクワクしたのは本当に久しぶりだった。
ボロボロなわたしを見てくれてありがとう。次会うときは、もっと腰を据えていろんなお話をしてみたいと思った。

行きたかった講演会に行く

twitterをフォローしているF太さん(F太 (@fta7) | Twitter)。
かわいい猫のアイコンで、日々刺激になる、考えさせられる、そして「わたしも頑張ろう」とポジティブになれるつぶやきが好きだ。
タイミングよく、福岡で講演が予定されてるという情報を知った。
しかも、今回は、発達障害をエクセルで克服されているという小鳥遊さんとのセミナーだ。
私自身は発達障害ではないが、不注意型に近い傾向にずっと悩んでいたため、これは、私のための企画かもしれない(そんなことない)と思って参加を決めた。
普段都内でのイベントが多く、地方民にとってはなかなかチャンスがないので、こうして地方でも開催していただけるのはとてもありがたい。
当日は、予想よりだいぶ多くの参加者がいて、びっくりした。
こんなにお悩み仲間(?)が!!
内容もとてもわかりやすく、小鳥遊さんは気さくで、F太さんは想像以上にお若くて、お話もわかりやすく、感動した。
私もお二人のように、とまではいかないまでも、きちんとわかりやすく伝える技術が欲しいと思った。
書籍を購入し、サインを…と機会を伺ったが、休憩時間は常に行列ができていたので、購入のみで、お話するのは遠慮した。
F太さんと話している方々をぼおっと眺めていたが、皆さんとても嬉しそうで、ああ素敵なお仕事だなとほわんとした。

偶然の出会い・時間の共有を楽しむ

弊社でも新卒採用が始まり、偶然、そのお手伝いをすることになった。
最初は、新卒の方の受付と、面接開始までの待ち時間での話し相手を務めるとのことだった。
それが、気づけば内定者フォローや入社にあたっての面談まですることになっていた。
普段接することの無い新卒者の方、それにかかわる役職の方と意見を交換する機会ができた。

以前の私であれば、この手の人と関わるお仕事は冗談抜きで「死んでも嫌」な部類に入っていた。
自分がどう思われるか、変な行いをしてしまわないか心配で心配で尋常じゃないくらい緊張していたからだ。
でも、今の私は、もう「自分がどう思われるか」なんて、言い方は悪いがどうでもいいと思うようになっていた。
それより、いつもと違う状況をいかに楽しむか、立場の違うもの同士をいかに馴染ませるか、その場が終わった後の手応えを感じる結果を残すことができるのか、という、完全に「お仕事モード」優勢で、そんな機会が与えられたことに感謝すらした。

「新しい出会い」なんて、私一人の力ではそんなに得られるものではないのだから、仕事を通じてそんな機会が得られたことを喜べるようになっていた。
学生さんとの会話は新鮮で、彼らの意見にハッとすることもあって、とても刺激になった。
また、初めてこのような場に出て、それを初めて目にしたであろう、上司の方々からの評価は意外に好意的だった。最近は仕事でマンネリしていたので、久々に自分への評価を聞く機会に恵まれ、モチベーションもアップした。

さまざまな「出会い」を通して受けた刺激をどうするか


様々な「出会い」を経験して、私にとってとても大きな学びがあった。
・偶然も必然の出会いも楽しむことができた
・「会いたい」という気持ちに従うと満足度が高い
・会いたい人との時間で、ホッとしたり、頑張ろうと思える
・人生に取捨選択は必要だけど、出会いは偶然も受け入れると刺激がありいい影響が出る
・自分で行くことを決めたセミナーは元気が出る
・ビジネスにおいては、対話スキルの鍛錬になる
・複数人でのトークで、自分の得意とするポジションに気づく

いつもなら「あっという間」の1か月。でも出会いの多いこの4月は、1か月が長かった。 変わり映えのしない毎日だとあっという間に感じるが、新しい人との出会いはすごく刺激になったのだと思う。
新しい出逢いは、手っ取り早い刺激だ。
セミナーにはまってしまう気持ちがわかる、そういう人たちは、いつもと違う相手に会いに行くことで得られる「刺激」の虜になってしまうのではないかと思う。

ただ、そうやっていろんな人との出会いを通して受けた刺激は、私に何か劇的な変化をもたらしたかといえば、そうではない。
刺激は刺激だ。
その反応を受けて、その次にどんなアクションを起こすのか。その刺激を受けて、その次に自分の中で「なにかが起こる」のを待つのではなく「なにかを起こす」。
出逢いは「なにかを起こす」きっかけにはなるけれども、何かが勝手に変わることはない。
わかっちゃいるけど、実際に出会いを色々経験して見て、「ほんとにそうだなあ」と思う。
出逢いはとても貴重なものだけどそれ受けて自分がどうするかってのが、自分にとって本番。

冒頭で、「そういうものと出会うことで、違う自分になれると思っていた」なんて書いていたけど、出会ったからって、違う自分にはなれない。もちろん。

様々な、私と出会ってくれた方々に感謝し、次は私の動く番。
いただいた刺激を栄養にして、エネルギーを循環させる。
私の中に。
私と関わる人に。


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顔のコンプレックスについて

私は自分の顔に、大きなコンプレックスが3つある。

気になる順に、歯並び、反対咬合、そして前髪につむじ(生えグセ?)があること。

全て、まだ認めきれない、気にしてしまうところである。

でも近頃は、前ほど気にならなくなってきた。
コンプレックスの元が、前よりマシになってきたからではない。どのコンプレックス箇所も何も変わっていない。

コンプレックスを気にしている時間が無駄だと思えるようになってきたからだ。

まず3つの中で気になる第3位・前髪の生えグセ。
生きてきて何度か前髪を作るたびに、生えグセ+剛毛のせいで前髪が剣山のように、スネ夫のように、浮いてしまうことと戦ってきた。
近頃はあきらめて、前髪を作っていない。
私は前髪の左側につむじのような生えグセがあり、前髪を伸ばして、きつく結んでいても、その部分だけ細く短い毛が「もはぁ」ってなっている。
春のタンポポが芽吹くようだ。タンポポだとよかったのに。タンポポっていうより万能ねぎ。(万能ねぎって博多の品種なんですね。細ネギのことです)
40代に近づくにつれて、前髪無のひっつめ髪だとすごい老け顔に見えるので、前髪作成への誘惑がすごい。
ただ、剣山やスネ夫になるので、めちゃくちゃ悩んでいる。
長めに切って毎日地道にセットする、という手もあるが、今からどんどん暑い季節になる。いくら完璧にセットしても、夏の汗で一瞬でスネ夫だもんな。
前髪パーマを試したけれど、剛毛なのでパーマもすぐに取れていた。
残るは前髪デジパか…前髪にデジパなんてかけられるのか??
いい案をお持ちの方は教えてください。

気になる第2位は反対咬合。
上あごより下あごが出ている。
横顔が好きになれない。

気になる第1位は、歯並び。
私は上の歯並びが悪い。
同じ場所に2本生えていたりする、前後に。
もちろん両八重歯。

反対咬合と歯並びが気になって、小さいときから笑うことが苦手になった。
歯を見せると嫌われると思っていた。
思春期に、同級生の男子から、「歯、すごいね」と言われた。
その時から、微笑むことはできても、笑うことがあまりできなくなった。
たまに笑うときも、手を口に当てることがクセになってしまった。
その男の子は、本当に軽い気持ちで言ったんだと思う。
でも、アラフォーになった今でも、「歯、すごいね」といったその子の顔、声、場所をはっきりと覚えている。
実に根深い。

これらのコンプレックスについて、もう悩むのはやめにした。
前述のとおり、「時間の無駄だ」と感じるからだ。
ここで注意したいのは、「私にとっては、悩むことが時間の無駄だ」ということ。
コンプレックスというのは、本人にとってはとてもとても大きな問題で、安易に「そんなこと気にしない方がいいよ」なんて言えることじゃない。
ってことを、身にしみて感じている。
「悩むのやめよう」って思うまで、私自身何十年もかかっているし、「悩むのやめよう」って決めてすぐに100%平気になるわけじゃない。
だから、誰かの悩む気持ちを変えようとは思わない。

なんで時間の無駄だって思うかというと、最近何度も書いているように、人生のどん底を体験して、「コンプレックスに悩んでることが馬鹿らしく思えたから」だ。
コンプレックスの相対的な重さが変わった。大したことないと思えるようになった。
悩んでいる時間がもったいないと思うようになった。

私は今、色々な人と接してみたい。
でもコンプレックスに悩んでいると、一歩が踏み出せないのだ。 様々なことを経験した結果、今、私は「コンプレックスに悩む気持ち」<「人に会いたい、新しいことをやりたい気持ち」の状態になっている。
だから、自分の顔面について悩むことをやめようと思った。

最後の一押しは、単純に自分の気持ちが大幅に変わったからなのだが、今から10年以上前に、「コンプレックスを気にしているの、損かも」と感じたエピソードがある。
その当時、私は派遣社員として働いていた。
詳しい経緯は忘れてしまったが、偶然、派遣会社が私の経歴などをまとめた書類(おそらく客先にセールスする材料)を目にしたことがあった。
そこには、要約すると「見た目はパッとしませんが、笑顔に大変愛嬌があり笑うと親しみやすく云々」と書かれていたのだ。
当時は「見た目はパッとしないって、おい」と驚いただけだったけど、大事なのはその続きだったのだ。
どうやら私の笑顔は人を不快にさせることはないらしい。むしろ笑顔出してこ、ってことだったのだ。
ちなみにこの派遣会社は今はもうない。こういうことを書くような会社だからだろう、そしてそれを不用意に置きっぱなしにするような会社だからだろうと勝手に思っている。

また、大人になるにつれ、実はこのコンプレックスによって、「本当に嫌な体験をする」ことがなくなったことも、「気にするのは損で時間の無駄だ」と思いいたった大きな要因だ。
コンプレックスによって自分を辛くさせていたのは紛れもなく自分自身だ。
だいたい、見た目容姿のことでとやかくいう小さい人間なんて、私の周りにはもういないのだ。
私の選んだ人間関係には皆無だ。だとしたら本当に、悩むのは時間の無駄で、自分の周りにいる人をいっぱいの笑顔で少しでも幸せにする方がいいじゃないか。
そう思うと、旦那さんには感謝してもしきれない。若いころ、まだまだコンプレックスの塊で、それゆえに楽しいそぶりも笑顔も満足にできなかった私と付き合ってくれたのだ。私は今は彼を支えているという自負があるが、彼も私を人生をかけて支えてくれている。私が、狭いけれども、自分の抱えきれるだけの生活や人間関係を愛をもって続けることができるのは、まぎれもなく彼との関わりのおかげである。
彼が選んだ私が、自分の顔面の仕様でくよくよしてたんじゃ彼にも失礼ではないか。

さあ春が来た。
外に出よう。人生を楽しもう。
悩んでいる暇はない。

お気に入り。ダイソーのカレンダーは我が家で2役

今年の冬は、人生で一番大変だった。
年末年始は、一年で一番頑張りがいのある時期だと思うが、今年は何一つ、それらしい事をしなかった。

だが、やらないこと、やり残したことで、後々困ったことと言えば、意外とそんなに無い。
行事をこなさなくても人は生きていけるものなんだなぁ。またひとつ、ずぼら生活への罪悪感が減ってしまった…良いのか悪いのか。

その、数少ない(というか唯一の、かもしれない)困り事の一つは、カレンダーだ。

年末年始は所狭しと並んでいるカレンダーだが、1月も終わりになる頃には、かなり売り場の隅でひっそりとしている。
セールになっていたりして、一応手に取ってみるけど、わたしはカレンダーには個性を出して欲しくないので、そういうシンプルなものはなかなか残っていない。本屋さんには定番ものがあるけど、私のカレンダーにかけたい金額からはオーバーしてしまう。

去年ダイソーで、クリーム色にネイビーの印刷の、シンプルな、二ヶ月が一度に見られて、真ん中にミシン目があり、一ヶ月ごとに切り取ることができるというカレンダーを購入した。100円で、自分好みで、実用性もある満足度の高い買い物だった。
今年は、台所も居間も、それにしようと思って、1月末のダイソーに行ってみると、カレンダー売り場そのものがなかった。
カレンダーは、時期を逃すとこんなにも存在が消えるのねと、初めて実感した。

その後も100均に用があるとカレンダーを探した。
すると、天神のダイソーで、ようやく、いいなと思うカレンダーに出会った。

大きめのクラフト紙で日付が見やすく、前後の月も記載されている、イラストや写真が一切ないタイプ。

妥協しないでよかった。今年は時期を逃して大変だったが、またまた100円で、好みのカレンダーを買えて、とても嬉しい。

そして、今年のこのカレンダーは、我が家でもう一つの大事な役を果たしてくれている。

カレンダーの役目を終えて、ブックカバーへと生まれ変わる。

クラフト紙ならでは。
紀伊国屋の書店カバーがくたびれたら、こちらにかけかえる。月一回の、お楽しみ。

もし今年も紙の本を買い続けるなら、来年もこのダイソーのカレンダーにしようと思う。

同じことを役者を変えて繰り返すだけ

極端に狭い人間関係で生きている人がいる。
自分とは絶対に離れないだろうと思い込んでいるその人間関係の中で、
何十年たっても同じことを繰り返す。

その人間関係の中では、物事の考え方や価値観や関係性が変わらないので、
一見別の出来事が起こったように見えても、結局は過去の配役を変えて同じ問題を作り出しているように見える。

また、その人間関係の中に「異物」が入り込むのを極端に嫌う。
自分が隅々まで把握していて手足のように動かせると思っている将棋盤の上に、チェスのコマが置かれようとするのを必死に排除しようとする。ここには将棋以外のルールは必要ないのよ、一般的には(ここでいう一般的に、も、その狭い世界で語られているものだ)そういうものだから、何かを足す必要はないの。また何かが抜ける必要もないの。このままがいちばんうまくいくのよ。って。

いつまでもいつまでも。
同じキャストを使って、その時々で悪役を立てて、常に不安と不満のドラマを作っている、そしてドラマを作っている本人こそ本気で「なぜこの世界にはいつもいつも問題ばかり起こるのかしら」としかめっ面をしている。

少し離れてその世界を見る。
つくづく、自分を成長させるには、変えていくには、多少の新しい人間関係が必要だと思い知る。
新しい人間関係で得られるものは新しい、自分のまだ知らなかった価値観だ。
だから、読書や映画や芸術や、そういうものも、自分のものではない価値観で生み出されているので、人間関係から受け取るものよりはマイルドかもしれないけれど、受け手の態度によって価値観の変化を起こすことができると思う。

狭い世界を守って生きているその人たちは、本にも、映画にも、音楽にも、芸術にも、体験にも、興味を示さない。
何かいつも必死に早口に、色々な問題を抱えて考えているように話しているけれど、その解決策を求めて専門の窓口に相談したり、書籍を読んだり、第三者に間に入ってもらったりしない。
多分本当は答えを求めていない。
自分の安心できる世界以外の価値観で物事が語られ始めるのが怖いのだ。

ここまで偉そうに書いてきたけど、これはまんま私にも当てはまる。
私はある人間関係を外から見てこう思っているが、自分だって、もっと広い世界や価値観を知っている人からすれば同じである。
ただ私は、自分が狭い価値観や人間関係の中でその安心を守りたがって外を怖がっているのを知っている。またそのまま歳を重ねていくことに恐怖を感じる。
そして同時に、自分の大事な相手に対しても、そのような人間関係や価値観に広がりのない世界だけになってしまうことが怖いと思う。
大切な人だからこそ、「私とあなた」だけの価値観で世界を見てしまうのではないかというのが怖い。
大切な人だからこそ、「心を一つに」なんてせずに、お互いいろんな目線で、いろんな方向を向いていたい。
「同じことを役者を変えて繰り返す」のではなく、「私はわたし、あなたはあなたのまま、どれだけ多彩なゲストを迎え、どれだけ多彩な物語を楽しめるのか」を意識してやっていけたらいいなと思う。

貧弱なラインを愛する

体の線のことである。

私は20代後半から30代前半まで、とても太っていた。
これではいけないと思っていた矢先に、旦那さんが糖尿病であることがわかり、一緒に本格的に糖質制限を始めた。
体重は順調に減り、数年をかけて、先日、標準になった。
糖質制限はあくまで「適正体重」になる術だ。
痩せすぎの人は太く、太った人は痩せることができる、正しく行えば。
だから、自分の適正体重以上に増えることも減ることもない。

だから私は決して痩せてガリガリになったというわけではなく、むしろ太ももは長年の姿勢の歪みにより硬く太い肉がついたままだし、掃除や家事をめったにせず子供を抱き上げることもない二の腕はだらしなくぶよぶよしたままだ。

全体的にぽったりしているにもかかわらず、私は自分の体、特に背中・おなか・お尻のラインにどうしようもなく「貧弱」なイメージを持つ。

おそらく、筋肉が少なくなってしまったからだと思う。
もともと私は典型的な日本人女性の体型、着物が似合う体型、すなわち小胸・鳩胸で腰とお尻の位置が低くでっぱりがない。
それが、糖質制限で健康的に痩せてきていたときは気が付かなかったのだが、ここ数か月のストレスであまりよくない痩せ方をして、筋肉がなくなって、より顕著になった。
のっぺりに拍車がかかってしまった。

それが、最近結構いとおしい。
お腹にはまだまだ脂肪がついているのに、横から見ると(二の腕との対比も相まって)そうとう薄っぺらい。
胸の高さも低いし、お尻のカーブも緩く下向き。
老いも手伝って、なんともわびしく、貧弱だ。
でもそのなんとも平坦なラインをとても「いいな」と思う。

なんでかはわからない。
お世辞にもイキイキしているとは言えないし美しくはない。
でもいとおしい。

そういえば最強にメンタルやられていた時の自分の顔がすごくいいと感じたときもあった。
確かツイッターでもそういったことをつぶやいた。
会社のトイレの鏡にうつった自分の目の生気の無さよ。
眉毛がぼやっとしていて目の下にクマができていて、ビューラーをやめたのでまつげは下向き。
もともと私のすべてのパーツは、小さく丸い。
アイラインもビューラーも使わず、口紅も引かない私の顔はもう本当にすべてのパーツが小さい。
それでもなんだか、いいなと思った。

自分を憐れんでいるのだろう。
気持ち悪い感情だと思う。
だけどくたびれたこのラインを、好きだと思った。

私は背が小さい年配の方の着物姿が好きだ。
さらに、着物からのぞく首筋や足首や手首がやせ細っている人の着物姿が好きだ。
体のラインに反して、とてつもないパワーを感じる。静かなパワー。
醸し出す大物感?とにかくこの小さなご婦人には今まで積み重ねてきた様々な物語や感情があるのかもしれないと、私に思わせる。
それにあこがれていたのかもしれない。
今の私の細くはないけど貧弱なラインが、小さい着物のご婦人に少しでも近くなったかもしれないと想像して、うれしいのかもしれない。
でもそれはあくまで外側のラインののっぺりしているさまがなんか似ている、というだけで、本質的には全然違うのだろう。
気力がないのを受け入れている。
精神が浮上しないのを許している。
何かに打ち込みたいけど打ち込めるものが自分には何もない。
それは私の状態が0以下になっているからかもしれないし、ずっとそういう性質なのかもしれない。
とにかく今は自分ののっぺりとした貧弱な印象が好きだ。
いつかその感情が全く理解できなくなった未来の自分が、この文章を読むのを想像するとなんだか面白い。
逆に、このままのっぺりと歳を重ねた後の自分がこの文章を読んでいるのを想像しても、なんだか薄気味悪くて面白い。 未来のことはなんにもわからない。
その時自分が何を愛しているかなんてわからない。

旦那さんが私との間に境界線を引き始めた

この数か月で、まるで体験したことのないような波に、のまれているようだった。
具体的な始まりは、義理の父が心不全で緊急搬送されて入院、その数日後に脳梗塞を発症したことによる、待ったなしのダブルケアだった。

その前後で、私は今までに味わったことのないような怒りと悲しみと絶望を体験して、それは介護そのものというよりも、その皮をかぶって周りに横たわっていた様々な問題だった。

この件に関してはまだ、思い出すと吐きそうになるので、いつか遠い出来事のように思うことができたら、振り返るようにしたい。

今もまだ、その波うち際で必死に海藻にしがみつきながらざぶざぶと打ち寄せる波に必死に耐えているような状態ではある。
でも、その波は当初よりだいぶ小さくなり、また私たちも、波を乗りこなすすべを否応なく身に着けてきた。

この辺の出来事は、できれば誰にも体験してほしくない類のことで、私たちの気力体力から物質的金銭的なものまで何もかも溶けてなくなってしまった。
ただその中で、ひとつ大きな変化が起きた。
旦那さんが、わたしとの間に境界線を引き始めたのだ。

「境界線を引く」
どちらかといえば不穏なイメージがあると思う。
しかし、私にとっても旦那さんにとっても、とても喜ばしいことなのだ。
いわば彼にとっての「脱皮」、あるいは(この表現を使うべきか迷ったのだけど思い切って)「初潮」であるとすら感じる。赤飯だ。いや、糖質制限中なので、ここはクルミ入りふすまパンにしよう。

荒波に飲まれ、二人で必死に戦ってきた。
その波があまりにも息を止めにかかるので、旦那さんの小さな記憶の蓋が開いたのだ。
今振り返ると、大きな波の中で、それはきっちりと順序立てて、旦那さんの前に現れて、彼を徐々に別のステージへと推し進めているのがわかる。
大きな変化は意外と、劇的でもなく、突然でもなかった。
でも、確実だった。
そして揺るぎようがなかった。

その大きな変化の一つが、わたしとの間にひかれた境界線。

わたしたちはすごく仲がいい。
仲が良すぎてたぶん、共依存的なところがある。
というか、この10年あまり、共依存にでもならないと、正直やってこれなかった。
でも、ここで起きた大きな変化により、彼は「あなたが私ではないように、私もあなたではない」ということが初めて腑に落ちたようだった。
文字にすると当たり前だけど、これは誰かに言われて「そうか」と受け入れることができないものだと思う。
ずっと生きづらさを抱えてきた彼が、自分の頭と体でそう思えるようになる、様々なプロセスを経て、人生で初めて獲得したものだと思う。

私は本当にうれしい。
境界線を引くのは、自分を守る、自分を大切にする第一歩だと思う。
境界線がないと、自分以外の人に起こったものも自分のなかに丸ごと受け入れてしまうため、自分自身がボロボロになってしまう。
逆に、自分の感じたものを丸ごと他人と共有しようとするので、自分と同じ感情になってくれない他人に失望し傷ついてしまう。
その根本的な原因は、自己肯定感の低さだ。
自分を低い場所に置いてしまうので、自分以外のすべてを受け入れなければという考え方になってしまう。
自分の感情に自信がないので、他者からの全肯定を望んでしまう。

それは、自分以外の人から見たら、明らかなのかもしれない。
でも、自分で気づかない人にいくら周りから訴えかけても、正直何を言っているかわからないんだと思う。
自己肯定感の低さは、自分で気づいていくしかない。
旦那さんを見ていると本当にそう思う。

私との、そしてそのほかの人との境界線を引き始めた彼は、短期間のうちに、精神的に安定してきている。
とてもうれしい。
自分を大事にしようって、やっと心から思えるようになったんだね。
おめでとう。

実は旦那さん、介護でまた、職を失ってしまいました。
また、ここから、二人で新しく始めます。

しばらくは、内容も、テンションも、日によって波のあるブログになりそうです。
なんだか、ブログって一貫性のあるものではなくてはならない気がしていて、書きたいけどかけない、書いていいのかわからない、そんな気持ちを抱えていましたが、しばらく自分のためだけに、ただ書いていくことにしました。

サブブログが周りでにぎわっているけど、私は皆の言うサブがメインなのだ。
というか、それしかないのだ。

基本的には、2人ともだいぶ元気です。

相変わらず二人であっちに流れ、こっちに流れではありますが、頑張っていこうと思っています。
また、よろしくお願いします。

スターバックス ハミングバードプログラムが素敵。

スターバックスにコーヒー豆を買いに行った際、おすすめされた「ハミングバードプログラム」がとても素敵だったので、簡単にまとめたいと思います。

ハミングバードプログラムとは

「あなたの1杯が、震災遺児の進学支援に。」
ハミングバードプログラムとは、スターバックスが行う寄付の名称です。

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スタッフさんからいただいた紹介カードに詳しく仕組みが書かれています。

スターバックスには、様々な柄のプリペイドカードが売られていて、その中に「ハミングバード」という、ハチドリのマークが描かれているものがあり、そのカードを購入・使用することで、寄付活動に参加することができます。

カードを購入する際、1000円以上のチャージを行います。そのチャージ金額から、まず100円、寄付されます。
私はもともとスタバのアプリでスター(ポイント)を貯めようと思っていたのですが、そのためにはまずスタバカードにチャージをして、それをアプリに登録する必要がありました。
その際、せっかくなのでご紹介だけ、と、店員さんが紹介してくれて、今回のプログラムを初めて知ったのです。
カードは様々な種類があり、一応全てのデザインをみせていただきましたが、せっかくなので、100円でも寄付できるなら、と、このハミングバードのカードを購入しました。

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このカードに1000円以上の金額をチャージして、それをアプリに登録すると、アプリ画面のみで支払いが可能になります。

3000円チャージして、コーヒー豆を購入し、アプリで支払いました。
100円寄付されて、2900円からのスタートです。
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アプリの画面です。
カードそのもののデザインが表示されて、残高も随時更新されます。
私はアプリを使うので、カード本体は旦那さんに使ってもらうことにします。

登録は少し時間がかかるので店舗内の座席に座らせてもらって、登録後にお会計しました。
お会計後に、スタッフさんが補足説明をしてくれました。
3/8〜5/29の間に、このハミングバードのついたカード(過去発売の分も含む)でスタバでお会計をすると、会計金額の1%がさらに寄付される仕組みだそう。

おいしいコーヒーをいつも通り楽しむだけで、寄付に参加できるなんて、いいなあと思いました。

大きなことはできませんが、こうして企業が呼びかけてくれることにのっかって、少しでも、残された方のためにできることがあるって嬉しいです。

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スタッフさんが手書きカードをくれました。心遣い。

以前テレビ番組で、「認知症患者とそうではない人が同じ場所に集える場所」として、ある街のスタバが会場を提供していたという特集を観たことがあります。
以前は「スタバって若者と意識高い系の人が行く場所」と思い込んでいた私ですが、一度行き始めると、毎日通い詰める人がいるのも納得できます。居心地がいいだけではなく、寄付や社会貢献活動のような、なんとなく気負いそうになりがちなこともサラッとこなしているのが素敵だと思います。

このハミングバードのカードを買ったので、来年のこの時期も自動的に寄付に参加できると思うと嬉しいです。