いっぽいっぽ日記

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日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

みんなどうやって「好きなこと」をみつけていくのか?

みんなどうやって「好きなこと」をみつけていくのか?

ちょっとした、楽しいことを見つけるのは好きだし、新しいことを見たり聞いたりするのは好きなんです。
でも、「わたしにはこれがある!」といった、深く好きなこと、どうしようもなくハマるもの…
そういうものがありません。

みんな、どうやって、そこまでたどり着くのですか?
それとも、よく聞く、「理屈じゃなく気付いたらハマっていた」のでしょうか?

幾度となく、私は私、これが私、と思い直してみるものの、
何にもたいしてハマれていない私が、やっぱりむなしくなるのです。

やりたくてやりたくて、それをやっていないとおかしくなるような。
そういう気持ちって、どんな感じですか?
眠る時間を削っても、食事を抜いても、疲れていても、それだけはやりたい!って、どこからそのエネルギーはわいてくるのですか?

私は、人の「好き」や「こだわり」の話を聞くのが好きなんですが、同じくらい興味があるのは「どうしてその人はそれだったのか」ということです。
でも、何かを好きな人は、もうすでに「どうして」とかの次元にいないので、「どうして」なんて聞かれても困るわけです。
そんなの聞かれてもわかんないですよね、だって「理屈なく好き」なんだから。

それがすごくうらやましいなあ。
うらやましすぎて、「あなたは今日からこれを極めなさい!」って誰かに言われたら「やったー!これが私の「好きなこと」に決定」!!
って、本気で思っちゃいそうでぞっとします。

エッセンシャル思考だって、ミニマリズムだって、「自分にとって「本当にやりたいこと」にフォーカスするプロセス」だけど、
「これが自分がやりたいことことだ!」と言えるようなもの、私にはない。

昔は絵を描くことが好きで、それこそ寝ないで描いたりしていたけど、私は本当にそれが好きだったのかどうかも怪しいと、疑ってしまいます。
これは、声楽をやっていた親友ともよく話すことだけど、
自分には何もないと思っていた当時、たまたま絵を(親友にとっては歌を)褒められたから、それにしがみついているだけなのでは、
そしてそれに気づくことなく大人になった今、あれだけ好きだったのに今ではかかわっていないことに対して負い目があり、ひょっとして青春かけてやってきたこれまでのこの「好き」って、まがい物だったんじゃないか、結局人から認められるための手段だったんじゃないかって…

今だって、「何かハマれるものがないと、人としてどうなの」って部分がかなり重要で、「何かにハマっている私」になりたいだけで、これではやっぱり本当に「好きなこと」になんてたどり着かないのではないかって。

お盆休み。
もうすぐ来る大型連休、とっても楽しみだけど、
きっと何もしないまま、何にも没頭しないまま、
休みが終わって後悔している自分を想像しています。

この年になっても自己理解できてないのやばいですねえ。
自分について考えるって難しいです。