いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

【フォト&イラストブログ】春の味覚とツバキ文具店

こんにちは、やまたろうです。

実家から春の味覚が届きました。
早速料理です!
最近は、旬のものをいただくありがたみがわかってきて、自分も歳をとったなあと思います(о´∀`о)

今日はそんな春の味覚の記録。

たけのこと鶏の煮物

菜の花のおひたし

高菜漬け

わらびとあげの煮物

これでもかと春の味を楽しみましたよ。
まだまだ残っているので今だけの味を楽しみます。

そういえば、最近始まったNHKのドラマ「ツバキ文具店」の中で、おばあちゃんが台所に貼っていた、モットー?みたいな格言?みたいな言葉、「春は苦いもの、夏は酸っぱいもの、秋は辛いもの、冬は脂を食べるべし」みたいな感じのことだったと思うんですけど、あれは、旬をあらわすのでしょうか?それとも、季節の体調にあわせて食べなさいってことなのかな。 ちょうど、春の味覚は、ほのかに苦いものが多いなと思ったので、この言葉が頭に残りました。

多部未華子ちゃん(ぽっぽちゃん)が可愛くて描いてみた。

…似てないし、なんかふっくら仕上がってしまった…
多部未華子ちゃんは、なんともいえない魅力のある女優さんですよね(о´∀`о)

夜絵を描いて旦那さんの入れたコーヒー飲んでチョコかじって…
幸せだー。

追記。
次の日の昼もたけのこ)o^(
たけのこ大好き旦那さん、早くも無くなった時のことを考えて悲しんでおります …

今後10年のファッションの方向性を考えて決めた3つのこと

こんにちは、やまたろうです。
4月になり、桜が咲き、あっという間に散っていこうとしています。
まだ肌寒い日もありますが、冬物のコートやセーターはクリーニングに出して、気持ちは春夏へ向かって走り出しています。
3月に35歳の誕生日を迎えてから、多少の体調のアップダウンはあるものの、気持ちがだいたい安定し、全体的に落ち着いた日々を送っています。

お花見行ってきました!霧雨降ってたけどきれいでした。実は一番のお目当ては屋台「manucoffe」の桜ブレンド!花よりコーヒー(笑)。でもでも、やっぱりザ・花見スポットの桜は圧巻でした…来年はコーヒーが無くても行こう。旦那はコーヒーが無ければ行かないとのことなので、職場か友達の女同士で行こう(そっちの方が楽しそう)。

これからの10年のファッションについて考えてみた

春になるとファッションについて色々考えてしまって、それが楽しくて楽しくて、3月下旬は誕生月、を言い訳に、色々と買ってしまいました。
4月はもう買うまい。たぶん←

手持ちの服が似合わなくなったと感じたときの記事(骨格診断)→【骨格診断】好きな服=似合う服ではない事実。好みで選んでいた手持ちの服に無理が来てます - いっぽいっぽ日記
30代前半を振り返って、これからの洋服選びが楽しくなりそうだと感じ始めたときの記事→30代半ばで思うこと。30代は精神的に楽になる。 - いっぽいっぽ日記

30代に入ってから徐々に、洋服との向き合い方を改めて考える必要性を感じていました。
最初は、今まで着ていた服たちがどんどんしっくりこなくなって行くことにとてもショックを受けたけど、あらたなステージ、大人の服選びの段階に入ったのかな、流行りを無理して取り入れなくてもよくなるのかなと思ったら、だんだん、これからの洋服について考えるのが楽しくなってきました!

私はわりと飽き性なので、いろんなテイストの服を試してきました。また、それに輪をかけて、周りの目を気にしていたので、「ファッションの軸」と言えるものがはっきりしていません。

でもそれも、いい加減終わりにしたいと思います。
洋服について考えるのは楽しいけれど、軸の無い状態でふらふらするのは私の本当に望んでいることではありませんでした。

私の軸って何だろう、好きなファッションって何だろう。
自分の中でやっと、ファッションでも大人の余裕について考える段階に来ました。
とはいっても私は自分のことをそんなにわかっていないし、これから先「絶対このカンジで生きていく!」というモノはまだまだ考えられません。
なので、今は、「35~45歳」の10年間、その中でファッションで実現したいことに絞って考えました。

①定番を10年選手に、流行をファストファッション

・自分の中で「定番にする」と決めたアイテムについては、ある程度の品質のものを手に入れて、今後10年使用し続ける
・流行の中で、好みと体型に一致したものは、ファストファッションで取り入れる

昔から言われていることだと思いますが、まずはこの、基本中の基本ともいえる部分を一番大事に考えようと思います。

自分の中で何を定番とするかは、人それぞれ違うと思います。
こればかりは、今はっきりと決めることが難しいです。
だから、これから10年かけて、ゆっくりじっくり考えていこうと思うのです。

そして、流行りに流されまいと思いつつ、でもやっぱり店頭の旬なお洋服はかわいく見えてしまう…
そんな自分も認めてしまって、やってみたいと思ったトレンドの恰好は、プチプラで取り入れたいと思います。
私は自称ウエーブ体型で、いわゆる定番服で全身固めてしまうと、とっても地味になってしまうのです。
流行のものを適度に取り入れると自分の気持ちがイキイキしてくるのを感じます。そして、女性同士の会話がとっても弾むのです!これは、ある流行りのトップスを会社に着て行ったときに実感しました。めちゃくちゃ褒められるのです。
褒められるばかりを求めすぎるとそれはそれで苦しくなると思いますが、自分がかわいいと思って取り入れたスタイルを共有できるととっても楽しいです。
無ければ無くてもいいけど、時々気分を上げてくれるコーピングの1種として、お手頃価格で取り入れていきたいと思います。

②いいなと思ったら安いものでトライ!心地よければアップグレードする

さて、「マイ定番」は上記の項目でも書いた通り、すぐに決められるものではないです。
その足掛かりとして、「気になったらお手頃価格のものを使ってみる→使用頻度が高ければ定番に格上げする」という方法を採用します。
例えば、私はここ最近、楽ちんを最重要項目としてスニーカーばかり履いていました。
だけども、これからの服装や、なりたいイメージ、好きなテイストを突き詰めていくと、どうもスニーカーですべてが満たされるわけではなさそうだ、となりました。
とはいえ、靴は身に着けるものの中でも一番難しいと思うのです。値段の高い靴を買っても、履き心地が全然合わない、持ち服との相性が良くない、といったことが起こるからです。
その場合、お手頃な価格で一度試して、自分の生活の中に取り入れられそうか試すのがいいなとなりました。
早速、安い靴を買って試してみているところですが、今のところ大正解です。
どんな服に合うかとか、どの色が使えるとか、今持っている靴下がすべて合わないとか、歩きやすいとか、先端は気を付けないとすぐ傷がつくとか、足の形が思いのほか出るとか…とにかく、試してみてわかることがたくさんありました。
今、その靴をとても気に入っていますが、やはり作りが「お値段なり」なので、早々に寿命が来そうです。
もうしばらくこの靴を使ってみて、自分にとっての「10年選手」に迎えるかどうか、判断したいと思っています。

また、冬の間はあまり出番がありませんでしたが、昨年から「スキンジュエリー」を試しています。
途中、なくしたり壊したり、トラブルがありました。
これも、「いいな」と思ったものを安価で試してみたからこそ体験できたことです。
自分に毎日つけるクセがつくか、手入れができるか、自分のなりたいイメージと一致するか…試してみてわかったことが多くありました。
こちらについては、「いつかは納得のいくものを手に入れる」と決めましたので、それに向かって購入計画を立てようと思います。

③好きで似合うものしか着ない買わない

とてもとても考えたのですが、私はやっぱり「似合うもの」<「好きなもの」なのです。
でも、好きなものを着て、鏡を見てがっかりするのも嫌なのです。
だとすれば答えは一つです。「好きで似合うものしか着ない・買わない」。
まず好きなスタイルがあって、それに対して、似合う色・素材・丈・形を吟味しようと思います。
「似合うもの」だけについて考えている時は、苦痛で仕方ありませんでした。
なので、いったん思考を自由にして、「好きなスタイル」を肯定して、そこから、できるだけ似合うように色や素材を自分に寄せていくことにしようと思いました。

まず、なりたいイメージを思い浮かべて、それに必要な服を試着して、似合わなかったらその服は買わないことにしました。
今そのスタイルにならなくたって、死ぬわけではありません。
なにしろ私の「10年ファッションの探求」は今始まったばかりです。
心も体も満たされるものへの出会いは、いつかやってくると思います。
ファッションは人生のすべてではないけれど、人生を彩る素敵な道具です。

最終目標は、「ファッションについて何も考えないこと」

ゆくゆくは、この、楽しいけれど悩ましい、ファッションについて考える時間を減らしていきたい。
ファッションに依存しない生き方の似合う人になりたい。
そのために、「無頓着になる」「考えないようにする」のではなくて、「真剣に向き合って、自然とファッションに悩まない自分へ近づいていきたい」と考えています。

人気ブロガーmuccoさんが30代に向けたファッション記事がとってもよかった

ケチケチ贅沢日記というブログを書かれている人気ブロガーmuccoさん。
ファッションやライフスタイルにビシっと1本筋が通っていて、見ていてとても気持ちがいいので、ブログを定期的に拝見しています。
そのmuccoさんが、michill(ミチル)というサイトに寄稿されている記事がどれも素敵でした。
はたらく女性が「もっと日常を便利にしたい」を見つけるために、信頼できる情報・ノウハウ・コツを提案する生活情報サイトmichill(ミチル):muccoさんの記事一覧 だって連載のタイトルが「40代が待っている!」ですからね。
今の私にドンピシャでささりまくりました。

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ずぼらならではの「後でamazonで買おう」というライフハック

こんにちは、やまたろうです。

3月は服欲に負けていろいろ買ってしまったので、4月はなるべく出費を抑えていきたいです!

さて、最近はだいぶ、その時の衝動でつい買ってしまった…ということが少なくなってきています。(ゼロではないけど)

衝動買いをしないぞ!と心を強く持っているわけではないです。
何の苦労もなく、結果的に、私の、そして旦那さんまでも、衝動買いが少なくなっている方法があるのです!

それは、衝動買いしたくなったときに唱える魔法の言葉

「後でamazonで買おう」

です!!!

この呪文の効き目すごい。
マジで衝動買い減ります。

まず、この呪文が絶大な効果を発揮する大前提として、私たちが「ずぼらである」ということが重要になってきます。

欲しいものが目の前にあったとき、店舗では
1.手に取る
2.レジ通す
の2ステップでお買い物完了です。

それが、「後でamazonで買おう」を発動することによって、
1.家に帰宅する
2.欲しかったものを思い出す
3.パソコン(またはスマホ)でamazonサイトを見に行く
4.商品を検索する
5.価格を検討する(楽天とかも見てみる)
6.購入手続きする
7.荷物を受け取る
の7段階に増える!

呪文すごい!

買い物を「後回し」にすることによって、めんどくさがりでずぼらな私は、よほどの必要性か情熱がない限り、ほぼ「過程2」にすらたどり着きません(笑)

そのほとんどの衝動は本当にただの衝動なので、記憶力の無い私は、家に帰ってから「自分が何を欲しがっていたのか」をほぼ覚えていないからです…

私の旦那さんは私より記憶力もモノに対する情熱もがぜん上ですが、その旦那さんでも、「過程2~5」あたりをうろうろしているうちにだんだんめんどくさくなってきてあきらめてしまうんですよね…

・自分の中のめんどくさいと思う気持ちを味方につける
・買い物にめんどくさい工程を持たせる
この2つのことで、我慢することなく、不必要なものを買うことが抑えられています。この時ばかりは「ずぼらでよかった~~~」と思います。

呪文は、買い物を後回しできるものであれば何でもいいと思います。
楽天で買おう」
「ヨドバシネットで買おう」
「ボーナスで一括で買おう」
「ポイント5倍デーに買おう」

そう、この呪文で気持ちがおさまる程度のものなんて、結局無くても生きていけるものばかりなんですよね。
私、この呪文で後回しにした結果、買えなくて後悔したものなんてありませんもん。

これはお子様にも効果があるのか、とても気になるところです。
普段ネットショッピングしている様子を見て育った子供が、もしスーパーで「あのお菓子が欲しい!!」と駄々をこねていたら、耳元でそっとささやいてみたい。
ただ子供の頃って欲しいものに対する情熱がハンパないからきっちり覚えてて家でギャン泣き、とかになるのかな(笑)

この呪文の弱点は、「ネットで買えない物」ですね。私は服飾品です。呪文効きません、試着して気に入ったら買ってしまいます…

新年度で何かと出費が増えるこの季節、自分なりの衝動買い回避策を駆使して乗り切りたいです。

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30代半ばで思うこと。30代は精神的に楽になる。

こんにちは、やまたろうです。

昨日の記事を書いた影響か、昨日から少しだけ気持ちが上向きになりました。
ゴミの日だったので30リットル2袋、ゴミを捨てることができました。
余っていたハンガーとショッパー、通販の空き箱と旦那さんのいらない書類。
夕飯の買い物ついでに洋服見たりなんかして、明らかに元気出ました。
書いて、話して、思いを出していくって、やっぱり大切だなあと思いました。

さて、先日30代の折り返しを迎えて、私が今思う「20代と30代の差」みたいなものについて、書いてみます。

社会になじんでくる

社会に出て10年以上がたち、なんとなくにしろ、「社会になじんでいる」と感じます。
社会がどんなものかはっきりとは分からないのですが、日本の社会のルールみたいなものに体が適応しています。
社会の歯車になる、というと悲観的に感じる方もいるかもしれませんが、私にとって歯車のようにその場にマッチし違和感なく動けるというのは大変貴重なことです。
常に自分が浮いていないか、きちんとできているか、後れをとっていないか気になっていた20代。
社会人としてのマナーや会社での人間関係・距離感。色々な立場の人がいて、それぞれの事情があること。人は、だいたいは自分の立っている場所からしか物事を見ることができないのだということ(人によって感じ方がさまざま)。「正しい」「正しくない」は重要ではないこと(良くも悪くも)。自分の主張を通すやり方と、相手の意見を尊重すること。
そういったことが、30代になって少しわかってきました。
また、社会的な制度や税金関係、手続き関係も場数を踏んで、きちんと手順を踏めば必ず終わるものだと、自分にもできるのだとわかってきました。その重要性も。20代のころは、制度や手続きそのものに高いハードルを感じていましたから。そういうものにも、面倒だなあと思うけれど、取り組むことに前ほど苦痛や違和感がありません。

肩の力が抜ける

上記のように「社会になじむ」と一部重なりますが、肩の力が抜けるようになりました。
20代の時ほど、他人の目線が気にならなくなりました。
あと、「失敗してもどうにかなる」と思えるようになりました。
自分も周りの人も、必ず何か失敗があります。でも、それで取り返しがつかなくなることなんて、実はそうそうないんだと、学びました。
常に100%・120%だ!なんて熱血は続かない。それより、普段は6割程度の力加減で継続し、いざというときに十分な力を発揮できるようにしておくことがとても重要だと感じています。
仕事も遊びも余力が大事。
遊びに全力100%!みたいなものにもあこがれるけど、他人は他人、自分は自分。
頑張らなくても、生きてるだけで何かの役には立っている、と、おおよそは楽観的に日々を送れるようになりました。

自分と向き合う余裕が持てる

もう、本当に、他人の眼ばかり気にしていた20代。
20代の頃って、友達や同年代の人とそんなに差がないと感じていました。だいたいみんな、恋や友達や遊びや仕事の話をして、好きな映画や音楽をお勧めしあって、共感して、みたいな。
30代になると、みんな全然違う道を歩んでたりする。
既婚・未婚。主婦になる、働いている。子供がいる、家を建てる。同居する、別居する。不妊治療する、病気が見つかる。
明らかに「比べたって仕方がない」ことばかりだと実感します。
20代のときは、誰かと意見を共有することが楽しかったけど、30代になると、そもそも意見の合うことが少なくなってくる。
必然的に、自分の軸みたいなものを考えるようになりました。
テンションが落ち着いて、少し、自分と静かに向き合うことができるようになりました。
自分のことを考えて、自分が心地よくなるために時間を使う大切さをようやく理解しました。
そうなると逆に、精神的に今の方が「若々しい」とさえ感じることが出てきました。
無意識に誰かと比較していた時と違い、自分のことだけに興味が出たので、ウキウキすることが増えたせいかもしれません。

若さを求められない

今考えるとぞっとしますが、20代、特に20代前半のころは、若さを求められていたように感じます。
若者のノリ、若い女性としての会社での役割、若いパワー、行動力、明るさ、愚かさ。
本当に求められていたかはわかりませんが、私はそう感じていました。
私はもともとが活発ではなくて、どちらかというと年上の人の中で遊んでいる方が楽でした。
よく「落ち着いている(元気や愛嬌がない)」と言われていました。
気づけば、そういうものがだんだん自分から遠のいていて、ああだから楽なんだ、素の自分でいることを許される時間が増えたんだと(自分で勝手に)思っています。
若さを武器にできていた人にはきついかもしれません、けれども私はそもそも武器になるような若々しさを持っていなかったので、「もう若者ではない」といえる年代になったことでホッとしています。
その分これからは、若者にはない経験からくる知識や身のこなしや役割なんかが求められてくるのでしょうけど、まだ30代なら、私は自分がそこまで到達してなくても気にならない。本当に楽~。

洋服選びが楽かも

前に「手持ちの洋服がしっくりこない」みたいなことを書きました。
洋服選び、難しくなるなあと思いました。
でも、よく考えたらこれからどんどん楽になるかも、と最近考えています。
20代はたいていなんでも努力すれば似合うしパワーがあるのでいろんな服を試すことができました。
なんにでも挑戦したいし、生地が上質かとか肌がきれいに見えるかとか、そんなに気にしなくてもよかったです。
自分を服のテイストに寄せることができたんです。
30代になるとだんだん無理がきかなくなるし自分の体の特徴が見えてきます(良くも悪くも)。
そして若さで補えていた欠点がどうしても目立ってくるので似合う似合わないの判断がつきやすいと思います。
あと、私はこれからそんなにたくさんの洋服、たくさんのテイストの服を持ちたくないので、自分の軸となる「一番好き」「定番」を見つけていきたいと思っていて、頑張って流行りにのっからなくてもいいやと思えるようになりました。
洋服は好きだし流行りでかわいいと思えるものは取り入れたいですが、それがメインだった20代と違い、流行りはアクセントやトッピング程度で満足できます。
自分の心地いい服をじっくり探せる段階に入ったんだなと、そう考えると「似合う似合わないがはっきりわかる」ことはとても役に立つと思います。

パッと思いつく限り以上です。
じっくり考えたらもっといろいろありそうです。
考えていて面白いテーマだったので、こんど友達とも話したいし、そういうブログ記事があったら読みたいと思いました。

では、おなかが空いてきたのでこの辺で。

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年度末に思う、なくなったもののこと

おひさしぶりです、やまたろうです。

2月に忙しさのピークを越し、特に忙しくもなんともない3月のはずですが、原因不明のやる気が起きない病にかかっていました。

本を読んでいました。
他には、何をしていたのか思い返せないほど何もせず考えず、ただ時が過ぎた感じです。

何か楽しいこともこれといって思い当たらず。
家事も、やっているようないないような、いや、最低限の料理だけを作る日々。
汚い部屋を見ても、何も改善する気が起きず。
何かを考えているんだけども何もまとまらない。
気が付いたら一日が終わっている。
じっくり寝ていることは寝ているけど、気持ちは「眠りが浅い」と感じる。

なんだろう、エネルギーが無い状態みたいなんです。

そういうことをカウンセリングで先生に語ってみたりしました。
ひとつ発見がありました。
それは、この今の状態が、「昔の私に戻ったみたい」だと感じること。
そして、そう感じることができていること。

ちょうど1年前の私は、旦那さんと衝突することが増えていて、自分の頭の中がうまく整理できていない状態。そういう状態なんだと自覚を持つきっかけとなった、通院や知能検査をやっていた時期です。

それから1年。一つ歳をとり、自分のことも前より飼いならせていると感じていました。
けれど、人ってそう簡単に変われないのですよね。
なんだか1年前に戻ってしまったような私の頭の中。
だけど、それを自覚できているということが、とても大きいことのように感じます。
わたしは、昔とは違う場所に立っている。その差は少しかもしれないけど確実なもの。

さて、私は年度末が誕生月なので、振り返るときも3月を基準にすることが多いのですが、今年度は、意図せず私の前からなくなってしまったものが印象深かった。

私にとっての2016年度、34歳の1年は、一言で表すと「喪失」。
こんなにもこの言葉に近づく年は、これからの人生もそうそうないのではと思います。

親しい親族、私の子守をずっとしてくれた大叔父と、母方の祖母を亡くしました。

2016年4月の熊本地震で被災した私の実家が、この冬、解体されました。
実家の向かいに立っていたご近所さんも、もう今は住んでいません。
実家から近い場所にある、母方の祖母のうちも、被災して解体されました。

ずっと変わらずあるものだと思っていました。
そんなことあるはずがないのに。

特に実家に関しては、農業を営んでいるので、まずその土地から離れることを想像していませんでした。
山奥に位置する実家が被災したことで、実家のみんなは、市街地の方に新しい居を構えました。

私はまだ、家がなくなったその土地を見ていませんが(祖母の葬儀の時に行こうかと思っていたが雪が深くて行けなかった)、その土地を見たら、もっと実感がわくのかな。

よく眠れない3月のある夜中、突然、実家で過ごした子供のころの記憶が押し寄せてきたことがありました。
それは、家族との思い出でも、学校のことでも、友達のことでもなく、「そこにある自然」でした。
裏の井手のこと、井手に落ちている割れたお椀のかけら、冷やしたスイカ、洗い場にいるメダカ、その井手から引かれた水車が夜中にあげるどう、どう、という水音、一斉に鳴くカエルの鳴き声、寝間着で庭や田んぼに見に行く蛍、雨どいの下に生えていた蛍が好きだという草、暗い地面に生えるふき、道路向かいの資材小屋の隅のドクダミのにおい、向かいの山の牛舎に続く斜面にはえるフキノトウ、つくし、わらび。裏手の山にあるお宮さん、くっつき虫と呼んでいた草、野イチゴ、桑の実、しいたけ林の真っ暗な中で吹く風、時々、夕飯前の世界が真っ赤な時間帯に山道を登って一人になったこと、春の太陽の下で屋根の上に布団を干してその上に寝転がってりぼんを読んでいたこと。カナカナゼミ。真冬の星。

前触れもなく思い出す風景やにおいにだらだらと涙がこぼれました。

もう私はこれらを味わうことはない。
あの場所はもうどこにもない。

おじちゃんにも会えないし、ばあちゃんにも会えない。

ただ、なくなることは悪いことではない。
100年たてば、私の知っている人はほぼいないだろうし、暮らしていた場所もないだろうし。
そうやって世界はまわっている。

実家が市街地に移ったことで、いいこともあった。
特に母は、ずっと、実家が谷間にあって朝日が当たらないことが嫌だったらしい。そういえば朝日を浴びたことがない。
そして恐ろしく寒かった。家は昔の日本家屋で、台所は小さいころは土間(ぼこぼこした土で、外履きでおりる)だったし、夏は暑かった。やっと、台所にだけエアコンがついたのは数年前だ。 「新しい家があったかい!電気毛布が無くても、夜寒くないよ!」と電話口で伝えてきた声に、ちょっと笑ってしまった。
祖父も、「(市街地に)おりてきてよかった。冠婚葬祭や祖母の介護施設へ行くのにも、買い物にも便利だし助かる」と言っていた。

自然を味わうのも、毎日だと大変だ。生活する苦労は多い。
今からどんどん歳を取っていく実家の人たち。
便利に暮らしやすく快適になったのだから、これでよかったのだと思う。
いつか、グーグルマップから消えるその日まで、グーグルマップで実家を見続けることにする(ど田舎なのできっとなかなか更新されないだろう)。

そして、祖母の通夜で祖母の顔を見ている時に、初めて、先祖代々ずーっとつないでくれたから、今私がいるのだと、実感した。
私には子供がいないので、そのことを想うとちょびっと胸が痛んだ。
でもそれだって、長い長い人間の歴史の流れの中では、宇宙の中では、特に重要なことではない。

そんな感じで過ごした3月、2016年度の終わり。
決して「元気!」と言える年度の締めくくりではないけれど、これはこれで、アリではないかと思う。

34歳も35歳も、大して変わらない気がするね、と、同じく3月生まれの親友と話し合った。
私の周りには3月生まれが多い。だから、春が好き。
きっと、39歳から40歳になるときも、こんな感じで「こんなもんか」って言ってるんだよ。

よーし、色々書いたので、4月から本気出すぞ!(大嘘)

そうそう、ここで、忘れられない田舎エピソードを記録しておこうと思います。
私は高校時代バイク通学で、いくつも山を越えて通学していました。
夜の課外を終えて真っ暗な冬、山をバイクで疾走し登り切ったところであまりの夜空の綺麗さに見とれてしまい、道を外れてそのまま畑の真ん中にある堆肥の小山に突っ込んでいったことは内緒にしておいてくださいね。

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糖質制限で迎えた初めての冬

こんにちは、やまたろうです。

ひさびさに、糖質制限ネタでも。

旦那さんの糖尿病治療はおおかた順調です。
ただ糖質制限だけでは血糖値が落ちなくなったので、現在はお薬を使用しています。
この辺はまた、まとめなければなあ。

スーパー糖質制限で迎えた初めての冬

旦那さんが糖尿病と診断されたのが5月の連休あたり、それからスーパー糖質制限を夫婦で初めて、初めて迎える冬でした。

結果的に言うととても健康に過ごせました。

風邪をひかなかった

うつ病があったり、仕事が忙しかったりすると、免疫力が低下します。
風邪やインフルエンザが心配でしたが、今年は夫婦とも、一度も風邪やインフルエンザにかかりませんでした。
まあわたしはもともと体が強いので糖質制限のおかげなのかわかりませんが、旦那さんは体が弱いので、糖質制限のおかげで無事乗り越えられたのかなと思います。
それか、2年前から飲んでいるマルチビタミンサプリメントのおかげかもしれません。

副鼻腔炎にならなかった

数年前に旦那さんが副鼻腔炎になり、だいたい冬になると毎回耳鼻科に通って治療していました。
それが今年は発症しませんでした。
やったね!
昨年の冬との違いは、糖質制限以外何もないので、糖質制限のおかげだと思います。

ひどいうつ状態がなかった

これは糖質制限だけのおかげではないかもしれませんが、糖質を摂らないことによる激しい血糖値の変動がないことは、急激な気分の落ち込みや眠気、イライラなどがないということになります。
冬は「冬季うつ」という病気があるくらい、うつ病にとっては良くない時期ですが、今年の冬はそんなにひどい落ち方をしなかったです。
それどころか、日中起きて外出できたりしていましたので、近年では調子のよい方だったのではないかと思います。

太らなかった

最近体重計に乗っても、寒すぎてセンサーが反応してくれなくてあんまり測っていませんが(;'∀')糖質制限を始めて体重が落ちてから、太っていません。冬になると動かないし、あったかい食べ物がおいしくてついつい食べ過ぎて、太っていましたが、今年はそういうことがありませんでした。
旦那さんの方は、飲み始めた薬のおかげもあり、さらに最近痩せました。

以上、ざっくりとではありますが、我が家がスーパー糖質制限を始めて迎えた初めての冬の状況です。

うちはけっこうガチガチに制限してますが、そうまでしなくても、食べ順を変えたり、量を控えたりするだけでも効果があると、糖尿病でお世話になっている病院の院長先生もおっしゃっていました!

あと数か月で、スーパー糖質制限を始めて一年。
今ではすっかりこの生活が当たり前になりました。
今年も健康で過ごせるよう、食事には気を使っていきたいです。

・読み物としてとても面白いです。人類の歴史の中で炭水化物を食べるようになったのはほんとに最近のこと。例えばパンダはなぜササを主食にしたのか?とか、飲み過ぎて戻したもののなかに肉がないのはなぜ?とか、そういった小ネタも興味深いです。タイトルで毛嫌いせずぜひ読んでいただきたいです↓

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私が優しくない生き物でよかったと思う

こんにちは、やまたろうです。

熱いうちに素直な気持ちを書いておこうと思います。

私は優しくない。
人のためを思って動くことができない。
だって自分が心からやりたいと思っていないからである。

自分が本当の本当に誰かのために何かをやるときは、誰かのためではない。
その誰かを助けたい、と思っている自分のためにやる。

自分が助けたいから助ける。
これ以外で誰かのために動かない。

その人のことを想って動かない。
その人のことを想って動く場合、「その人のことを想って」の自分の行動に、自分が期待する通りの相手の反応を求めてしまいがちにならないか。
その人が、どんなに気遣われて、どれほど思案してこちらが動いているのかということに気づかない場合、イライラしてしまわないか。
そのイライラは自己都合ではないのか。
イライラさせる相手が悪いのか。そうではないと思う。
勝手に相手を想って相手のために行動したのに自分の思う通りの未来にならなかったことで生じる自分自身の感情の責任であると思う。

無理してまで助けない。
無理をすると必ず体に出る。
本当にやりたいと思ってやっているならば、相手がどう出ても、自分の心と体は安定するものだと思う。

相手のどんな反応も受け取る覚悟がないなら、その人のために動くのをやめる。
自分がどれだけ相手のことを想っても、相手と自分は同一人物ではないから自分が期待する反応が返ってくることを期待してはいけない。

あくまで自分がそうしたいから動く。その後相手がどのように動くのかは相手の決定することなのでこちらからは強制もお願いもできない。

私は冷徹な生き物でよかったと思う。

私の旦那さんは私と真逆なので、相手のことを考えて考えて行動して、その結果によって自分を壊していきます。
今ちょっとそんな状態で、私は、旦那さんのことがとても大切なので、旦那さんのいくら大切な人であろうと旦那さんから離れてほしいと思う。

旦那さんを冷静に見ていると、やさしすぎて、気をまわしすぎて、自分のことのように、怒ったり、いたわったり、立場を考えたり、出しゃばったマネをせずそっと手助けをしている。
でも、状況は旦那さんの思うようによくなってはくれない。
それどころか、気遣った相手からどんどん頼られるようになっていく。
相手の立場を気遣って板挟み役を買って出て、そしたらいつの間にか、挟まっていたはずが、気遣った相手ともう一枚の板が一緒になって旦那さんを圧迫していく、そんな状態。もはや挟まっていない。
でも、だれが悪いわけではない。だって、気遣われていることに気づかないんだもの。
相手を気遣うために動いていたのに、いつのまにかその相手が重荷になっていく。
優しい人は、そうやってからだをこわしていく。

もう、関わるのはやめてと言った。
こちらにできることは十分やれたと思うし、そのあと相手がどうするのかをこちらが決めることはできない、相手が決めることだから、と。

不調になっていく旦那さんを見るのは、私にとってもつらいから、と。
嫌な言い方だ。でも私はうまく伝えるような技術を持っていない。

とりあえず、そういった話し合いをもって、今回の件からはいったん距離を置くことを決めた。
旦那さんがこれ以上体を壊さなければいいなと思います。

私が優しくなくてよかったと思う。
2人とも優しかったら、生活していけない。

本当はわたしも優しくなりたい。
旦那さんの優しさをとても尊敬する。
相手を心から思う気持ちをとても尊敬する。
でも、なれないものはなれない。

私は、私が本当にやりたいと思ったときにしか、誰かを助けることしかできない。

優しくありたい。
優しくなくてよかった。

この2つの気持ちを、私はこれからも抱えていくのだなと思います。

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