いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

吸い上げた毒の行方

自分にストレスが溜まっていることを認知するとき、とてもとても自分を知るのに役に立つと感じた。



基本的には前向きにお気楽に日々過ごすことを心がけているけど、それでも合間を縫って、どうしようもない「シンとした」心持になるときがやってくる。
数時間前、それが来てしまった。

だいたい何でも話し合って分かり合っていきたい。
だけど、一人ではどうしようもない問題とか、わたしとの感じ方の違いとか、私自身の疲れとか、色々なことが重なって、持ちこたえられなくなったのだと思う。
申し訳ないけれど、その時私は「毒を吸い上げてしまった」と感じた。
カラカラのスポンジに、墨色の毒がどんどん吸収され、スポンジは重くなってしまった。そんなイメージ。

それが表に出たのは午前5時前で、雨の日だったから世界はまだ暗かった。
朝の光が無いことに悲しくなったし、反面、私の泣いている姿は闇に包まれているという安心感もあった。

どうしたらいいかわからなくなった。泣くのは久しぶりだったし、いや理由があって泣くことはちょこちょこあるけど、自分の感情が静かに行き場をなくして泣くのは本当に、久しぶりだった。

色々なことを考えた。

私のこの気持ちを聞いてくれる誰かがいたら、楽になるのだろうか。
すべて終わりにして、一人で自分のことだけを考えて生きるしかないのだろうか。
いやいやそれはちゃんと旦那さんに伝えるべきなのかな。ちゃんと話し合った方がいいのかな。でも、自分が病気の時に「あなたの病気のせいで私はつらくなりました」なんて言われたらそれこそ、死にたくなるくらい悲しい。
丸ごと引き受けると決めたのは私だし、私には私の感情を自分で引き受ける力がある、はず。
でもそうやって私の感情の行き場をなくすのもなんか間違っている。
台所に行き窓を開けて、とりあえず真っ暗な外を見てみる。
秋の風が涼しくて気持ちいい、ちょっと楽になった。
自分が「毒を吸った」と思うことが許せない。最低だと思う。でも、思ってしまうものは仕方がない、無かったことにはできない。
そういえばコーピングリスト作ったな。あれからなんかやればいいじゃん。そう思ったら、別のところから「私のこのつらさをコーピングリストなんかで解消されてたまるか」という、つらさを武器にして何かにぶつけたがりマンの声が聞こえて、それでまた自己嫌悪。何のためのコーピングリスト。 そしたら、ああストレスでネガティブになるってこんなに辛いんだなあって、外野がなんか言ったって、当の本人のつらみは解消されるわけないなあって身をもって体験していることが、とても貴重な気がしてきた。勉強になる。
それで、やっぱり私はわたしのことを信じているから、誰かや何かにぶつけることはしないで大丈夫だろうと思いなおして、で、私の吸った毒をどうするか考えた。
まずは、私が毒を吸ってつらかった、暗い気持ちになった、そんな私を私だけは「つらかったね、きついね」って認めてみた。誰かにぶつけなくても、自分で自分のこと癒せばいいやんって思った。癒すっていうか、ちゃんと、そうなった自分を認めてあげるというか。私だけは許そうと思った。
で、もうイメージが湧いてしまって仕方がないから、私の吸い上げた毒をどうやって外に出すか考えた。
でね、その毒っていうのは、実際にはないもの。目に見えないもの。これは好都合だった。
だって実態がないから、その毒を排出するのも私の好きなようにイメージできるのだ。
まずは「放電」のイメージ。
洗濯機とかについているアース、あれは素晴らしいよね、電気を地球が受け止めてくれるんだもん。ヨガだって、お尻から根っこが生えて、地球の核とつながるイメージとか使うよね。とりあえず私の足の裏とかから地球に毒を排出させていただこう。地球ありがとう。
あとは、やっぱりコーピングリストかな、一人になりたい。だから、そのまま台所の窓辺でしばらくしゃがんだままでいる。少し眠くなってきた、いい感じ。
あとは、そうだな、やっぱりこの気持ちを書きだしてあげることだな。しょうもない日記になるけど、ブログに書くことを想像するとだいぶ気が楽になった。ブログありがとう。

その時々で、つらくなったり頑張れたり、たくさんの感情がある。
昨日は前向き、今日後ろ向き。笑ってしまうくらい脳の波がある。
でもどんな自分も自分だし、どうしようもなくて最善策(と言われる行為)を選べない時の気持ちだって大事にしたい。
自分がこういう気持ちになることを知ることで、他者の苦しみやつらさだって、少しは前より想像できるようになる。
そんなどうしようもない、ズバズバ割り切って進めないどうしようもない自分も認めることで、他者のどうしようもない感情も認めることができる。
ずっと前向きではいられない。誰にだって、立ち止まることがある。それが無ければ誰かと分かりあったりできない。

朝ドラ「ひよっこ」で、ドラマの最後にはヒヨコの鳴き声が入ることがあるが、そのドラマの特定の回、主人公や周りの仲間が精神的に成長するエピソードの描かれる回は、ヒヨコの鳴き声ではなくニワトリの鳴き声になる。
本日、私の頭上でも、ニワトリの鳴き声がした気がする。
朝ドラありがとう。

書き終えた今、だいぶ楽になっています。

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