いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

最近、歳を重ねてよかったと思ったこと。「周辺視野・許容範囲がふわっと増える」

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音楽が好きな友達と話していて、本当にそうだなあとしみじみ感じたことです。

若いころは、「好きなものを絞って全力投球しなければならない、そうでなければ好きとは言えない」みたいな、
極端な考え方をしていたように思います。
完璧主義やゼロサム志向っぽい。

若いころには時間も気力も体力もあって、それを1点に注ぎ込むことこそ美しい生き方だと思っていて、
そうできない、どんどん好きなことから遠ざかっては言い訳ばかりの自分で、だからうまく、自分も人生も好きになれていませんでした。

私も友達も、もうすぐ40代。
きっかけは、自国語以外を話せる・聞き取れることの魅力、語学学習の難しさについて、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」も絡めながら話をしているとき。
友達は音楽に関係のある語学講座を20年近くゆったりと続けていて、やっぱり、時々倦怠期になりながらも、結局その言語と文化が好きだから続いているのだろうと。
それは、音楽を続けることより、よっぽどハードルが低いから…と。
「やまたろうの好きなこと(絵)も、わからないけど、道具をいっぱい出してきて描くより、ササっとできることのほうがハードル低いよね、そうでしょう?」と。

それを聞いて、頭の雲が一部分ぱっと晴れたように感じました。
その子にとって、語学(外国の文化)と音楽…どっちが上とかどっちが先に好きになったとかじゃなくなっている感じ、それって、歳とってよかったことじゃないだろうか、と。
絵画や音楽、その1点に注力!ではなくて、その周りの文化や語学などを含んで、ふわっと興味や関わりの許容範囲が増えている感じ。
あ、大人になったなあと感じました。

私にとってはファインアートがそうで、それは気軽に描けないけれど、デジタルでの落書きはできる。
あと、日本の文化番組や昔大嫌いだった歴史、寺社仏閣に行くことを楽しんでるのも、自分で自分に対して「何が何でも絵画制作1点に注ぎ込むべき」っていう態度がまるくなるのを許してるんじゃないかと。
ゆるく周辺でつながることを、「その周辺だから」と意識せず、周辺そのものを楽しむ気持ちの余裕が生まれてきたこと、それは歳を重ねないとできなかったことじゃないかと思います。
視点をずらすのが、うまくなってきた…というとなんか大人のずるさとかあきらめとかマイナスなイメージもさっとよぎるけれど。
1点集中も、興味がずれていっていつの間にかそっちを好きになっていることも、どっちもオッケーなマインドが手に入った、これって幸せかも、という気持ちです。

ちょっと何が言いたいかわからなくなってしまったけど、歳をとることのうれしさと、歳をとることの醍醐味ってこういうことかも、というのを感じたので、その気持ちを残しておこうと思いました。


ここ最近でやっと、西洋美術史も純粋に興味がわいてきた。この本面白いです