1月7日は「七草粥を食べる日」。
お正月におせちや豪華な食事で疲れた意をいたわる意味で理に適っているのだとか。
おかゆを食べて今年一年の家族の健康を願う。いいですね。
私はイベントが好きではありませんでした。
根がめんどくさがりの性分なので、イベントを楽しみたいという気持ちよりも、その手間や決まり事やタイムリミットに対しての拒否反応が上回るのです。
あとやたらモノの価格が高くなるし、人も多くなるし。
でも、昔からの季節の行事って、「祈る」こととか、「理に適ってる」こととか、「区切りをつける」という意味で最近あらためて「いいなあ」と感じるんですよね。
私が今までイベントが嫌いな理由って、先に書いたように、とにかくめんどくさいと感じているからなんですけど、なんでそんなにめんどくさいって思うんだろうって考えたら。
「やるからにはキチンとやらないと。例外はない。手抜きなんてない。」
って自分を縛ってたからなんだなと思いました。
やるからにはみんなと同水準もしくはそれよりクオリティ高くないと。
そこら辺の既製品で満足しないで自分の頭やアイデアを使わないと。
1から100までそろってないと。
日時に正確に間に合わせないと。
自分のキャパを無視して、まわりのようにステキにこなさないといけないって、心の奥で信じ込んでました。
そこに楽しむ要素が何もなかったんです。
だから、完璧にできないなら、いいやって。
イベントに踊らされるより、普段と変わらないで横目に見て笑ってればいいやって。
本当はちょっとだけ非日常を味わいたいのに、その気持ちを無視していたんだと思います。
でも、それってなんか損だなと。
完璧をやめて、頑張るのをやめて。
すべての行事に参加しなければいけないという思い込みをやめて。
手順やクオリティにこだわるのもやめて。
ただ純粋に、自分が楽しんで参加できることを第一に考えたら、それが一番いいのではと思うようになりました。
今私は「祈る」とか「区切り」としての行事に対していいなあと思うので、そういう自分のその時のアンテナに引っかかった行事だけ参加する。そう決めると行事を楽しめそうだと思いました。
あと、そういった「いいな」と思った瞬間に、その時の気力と体力だけでできる準備をする、っていうのも、先延ばしにしがちな私にとって、行事を楽しむ大事な方法だと思いました。
そんなわけで、今年の七草の準備は、お正月の買い物に出かけたときに、前もってインスタントのおかゆと、フリーズドライの七草をついで買いしておきました。
そのおかげで、7日の仕事終わりに、さっと準備して、夫と二人で和やかに七草粥を楽しむことができました。
年末年始のおせちも、手作りは極力しないで、休暇に入ってすぐに調理済のおせち具材とお雑煮の材料をスーパーで一気に調達したので、31日までに、おせちの材料をを切って詰めたり、雑煮の具を下茹でたり、気力体力ともに余裕をもって臨むことができました。(博多雑煮に必須のかつお菜だけは入手できませんでした…!)
クオリティには一切こだわりませんでしたが、じっくりと楽しむことができました。
クオリティが低くても、夫はおせちもお雑煮もおかゆも、とっても喜んでくれて、
それがとてもうれしかったので、これからも、自分が楽しむことを第一に、色々な行事を楽しみたいと思いました。
追伸(誰に対して?w):冬ドラ「絶対零度」みました。ごめんなさい私には合わなかった…!残念ですが継続視聴はナシです。そのかわりといっては何ですがゆるキャンが気になっています。