いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

レンズを増やせ、精度を上げろ

人生も中盤になって日本史にハマり始めることを、若い私が想像できたでしょうか。

ハマるといってもまだまだ、尻尾をつかむどころか遠くから息を切らして追いかけている程度ですが…

私は今「天地明察」という 日本独自の暦(太陰暦)を作り上げた人物についての小説を読んでいるのですが、この小説を読むまで「暦」に何の興味もなく、どのように作られたのかも知らなかったのです。
暦を作ることの重要性、大変さ。またそれを成し遂げた「渋川晴海」という人物を始め、どれだけの人がどのような思いで作り上げて来たのか。
今まで知らなかった暦の歴史と人物について知ることができて、とてもうれしく、また私のような歴史無知の人間でも面白く読めるような小説を世に出してくれる作者の方に感謝しかないです。

歴史を知るというのは、単純に「実在した人物のドラマに思いをはせる」ことのほかに、「世界の解像度が上がる」ことが、また楽しいと感じます。

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いままでぼやっと意識することなくカレンダーを壁にかけて使っていたところに、暦に関する小説を読んだことで、「暦レンズ」という1つの眼鏡のレンズを手に入れ、よりカレンダーに思い入れを持つことができるようになったようなワクワクを感じます。
また、以前読んだ「光圀伝」で「水戸レンズ」で茨城を見るようになったし(偕楽園、行ってみたい!)、「天地明察」では、「会津レンズ」を手に入れ、失礼ながら今まであまり私の目に映らなかった(私が拾うことができていなかった)「会津」という土地にバッと焦点が合う感覚をひしひしと感じました。 「保科正之レンズ」なんて正直存在すら知らなかったくらいです。こんなに…こんなに偉大な存在だったとは。
自分がいかに普段低い解像度で世界を見ているか、よくわかります。
歴史を知るということは、いろんなレンズ(メガネ)を手に入れることができる、ということなんですね。
レンズ集め…一生かかっても集めきれないものがあると思うと、これから生きるのもちょっと楽しみになります。

個人はどうしても自分の眼鏡でしか世界を見ることができないと思っています。
私という存在が「在る意味」というのは、むしろ「そこ」だと思いますので、眼鏡を外すことは、無理でしょう。
しかし、たくさんのレンズを持っていれば、付け替えて世界を見ることができます。

また、レンズを増やすことは、世の中を見る精度を上げることにつながると思います。
保科正之」という人物は先の小説「光圀伝」「天地明察」どちらにも登場しますが、光圀から見た保科、渋川から見た保科、と、同じ人物を別の眼鏡で見た様子が描かれています。
2人の視点に立つことで、より「保科正之」の人物の形を立体的にとらえることができます。
立体を、前後左右からぐるりと観察するように。
2つの小説は同じ作者(冲方丁)のものですので、今後さらに別の作者の書いた「保科像」を見ることができたら、さらに精度が上がるということになります。
また、どこに焦点を当てるのかについても、さまざまなレンズがあると思います。
人物の「功績」「性格」「趣味」「時代背景」などなど…
いろんなレンズ、ものの見方で1つの事象を見ることができると、日々の出来事が単純ではないこと、複雑に絡み合っているということを肌で感じることができるんだろうなと。

読書を通し、楽しみながらレンズを増やし、精度を上げていけるのは幸せなことです。
私がレンズを増やして精度を上げたところで世界は変わりませんが、世界と自分の間に何かしら接点ができる気がする、その楽しみがあるだけで、じゅうぶんだと思います。


余談ですが、天地明察の解説は養老孟司先生。
NHK BSプレミアムで放送されていた、「まいにち 養老先生、ときどき まる」という番組が好きでした。

www6.nhk.or.jp