いっぽいっぽ日記

いっぽいっぽ日記

日々シンプルに心地よく過ごすために、やってみたこと、思ったこと。

今の人間関係は10点中何点ですか?

連日、自分のやりたいことがわからない~~~とか、自分を大切にする方法がわからない~~~~とか、
自分のことばかり考えています。

でも、ちょっと今日は目を向ける方向を変えてみました。
それは、「私の今の人間関係は、10点中何点だろう?」ということです。
自分の中でばかり解決策を考えても一朝一夕で解決できる気がしないので、まわりのこと、人間関係について改めて見つめてみました。

私は直感で「8点」です。
自分でも驚きです、けっこう高い数値じゃないでしょうか。

私の人間関係を大きくカテゴリ分けすると、「仕事・友人・家族」の3つになります。
カテゴリ別に振り返りました。

・仕事
あくまで私の社会人としての経験だけでの話ではありますが、仕事は人間関係が最も重要だと感じます。
特に組織で働く人間にとっては、しばらくは自分の時間の大きな割合を仕事が占めますから、実際に生きている中で触れ合う人=職場の人になるはずです。
長く接するという点において、職場の人間関係はもしかするとほかの友人や家族より一時期最重要になるのではないでしょうか。
収入や仕事内容より人間関係が大事だと思います。(収入や仕事内容も結局人間関係にかかわってくると思います)
そういう点では、私は今の職場に恵まれています。純粋な人間関係だけで言うと10点をつけてもいいくらいです。
私の考える「職場の付き合い」の理想(ネガティブな言い方をすれば「妥協点」)とぴったりマッチしています。
入社時から1度大きく人間関係が変わりましたが、今のほうがのびのびできています。
私にとってちょうどいい広さ、ちょうどいい深さです。
本当に職場の人には感謝しています。第一に、職場の方々が私が無理なく働ける関係を保持してくれているからです。
私は自分の能力以上の仕事をしようとは思わないし、出世もできればしたくないです。
ただ、このチームを維持していくために自分の力が必要な時は、多少の無理はする覚悟ですし、実際にそうやって時々無理して、少し成長させてもらいました。
これって理想の職場の人間関係ではないでしょうか。
人と比べると、狭く浅く、向上心も感じられず物足りないかもしれません。
でも、純粋に「私の感覚」で考えたとき、あまり人間関係を広げるのが得意じゃない私には、今のこの関係は人生でベストです。

・友人
人と比べると狭い自覚があります。
それでも、私は非常に満足しています。
もともと、長く深く人間関係を気付くことが苦手な傾向があります。
そんな私でも、ずっと付き合ってくれている数少ない友人がいます。
私は彼女たち(友人に男性はいません)の前だと、どの人にも同じように自分をさらけ出すことができています。
この中で誰が特別、というものでもなく、全員が一番大事です。
とても幸せなことです。
若いころは、周りと比較して、より多くの、より親密な友人関係が必要だと思っていて、うまく関係を作れない自分を本当に情けなく思っていました。
同時に、「自分がどう見られているか」が主な心配事で、実は周りの人のことをちっとも大切にできていなかったと思います。
それでも根気強く私の友人でいてくれた優しい人たち。
みんなそれぞれ違った人生を歩んでいるけど、話せば一瞬でお互いの背景がどうでもよくなる、そんな関係はとても貴重です。
長い間連絡を取らなくても一瞬で間が埋まるような関係です。

・家族
色々あり、付き合いのある家族もとても少ない状態です。
少し前まで、正直大変な時期でした。
家族に関しては明確に、私は夫が一番大事です。
もともとは他人です。血がつながっていないからこそ、結びつきを守るのは思いの強さしかありません。
人づきあいが不器用な私を見つけてくれて、あきらめずに関係を続けてくれている夫には感謝しかありません。
夫は病気があるので、よく周りからは「やまたろうさんは旦那さんを支えててすごいね」と言われますが、とんでもありません。
大変な病気を持って、生きるのもしんどい中、私のことまで気遣ってくれる夫は、私を支えてくれている存在です。
また、実の家族も、私にとって心地よい距離で接してくれています。

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こうして振り返ってみて、どの人間関係も、 「自分にとって」快適な人数、付き合いの深さを維持しているので、満足できているのだと思います。
もっと前から「自分にとって」をきちんと考えていれば、必要以上に怖がったり、心配したり、無理したりする必要がなかったのでしょうね。
ただ、今までの経験があったから、自分の尺度がわかってきたのでしょう。

ちなみに10点満点中の「残り2点」に関しては、
・いろいろな人と話しかかわることでしか自分の輪郭をはっきりさせることができないのではないかと思う
・もうこれ以上のかかわりは要らない、と意識的に人間関係にセーブをかけている気がする
という点が、ちょっと残念だなと感じているからです。
私は自分のことをよくわかっていないので、自分を知るためにはいろいろな人と関わりいろいろなものの見方や考え方を知ることが最も重要ではないかと、最近思っています。
人間関係を広げる、そして今あまり親しくない人に一歩踏み込もうとすることは、自分にとってかなりハードルが高くなっているので、そこは少し葛藤があります。
今、素の自分で接することが一番無理のない人間関係を構築すると思っていますが、どうしてもまだ最初は「怖い」と思ってしまいます。

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最後に…とはいえ、自分のことをわかっていない人間にしては、人間関係は自分にとってほぼベストな状態になっていると思いました。
年齢を重ねて、無理しているのが剥げてきて、維持できなくなったこともプラスに働いてるのかな?と、ちょっとうがった見方をしていますが、意外と満足しているんだというこを自覚できたのはよかったです。

スキゾイドと、まじめな会社員

スキゾイドという特徴を知っていますか。

「一貫した孤立」「親密な関係を持たない」スキゾイドパーソナリティに当てはまる? - Togetter

詳しくはリンク先を見ていただくとわかると思います。

私は初めてこの特徴を知った数年前、今までのどの性格診断よりも自分に当てはまるなと思いました。
なんだかホッとしました。自分では言語化できなかったことが、スッキリと言い表されていたので…

おとなしいけど堂々としているところ
平坦な感情
親密な関係を持たないところ
特にこの辺りはまわりからも言われますし自分でも強く思い当たります。

私は年上の人と仲良くなることが多く、いつも「若いのになぜそんなに落ち着いているのか?」とよく言われます。
実際はそんなことはなく、落ち着いているように見えるだけなんですよね。頭の中では色々考えて焦っていますし、おそらく、本当の私を見せず仮面をかぶっているせいで、いつも穏やかに見えるんですね。

スキゾイドに納得した点、それは、確かに壁を作るかもしれないし、感情に抑揚がないように見えるし、1人で平気なんだけど、心の中では人との触れ合いが嫌いではない点です。
私の中で長年この不思議な感情に振り回されて、自分がない矛盾した人間なんだと悩んでいました。
でも、そういうのってスキゾイドの特徴だったんだ、スキゾイドとしてまとめられているのであれば、他にも同じように感じる人がいるかもしれないんだ、と思うと、この矛盾がいけないことだ と考える事は無くなりました。特徴ならしゃーない。

私の人間関係の根底には、恐怖があります。いつもつきまとっています。
恐怖のせいで、本音を言えず取り繕ったり、会話に入らなかったり、距離を感じて自分から離れたりします。
一部の友人達は、そんな私と根気強く付き合ってくれて、おかげで、身内や夫に話せないことも話せる間柄になりました。ありがたいことです。
必要以上に恐怖を感じてしまうことが、人間関係で疲れてしまう原因だと思います。
克服したいと憧れてはいますが、方法がわからないままです。ぼちぼち、勉強していきたいです。

人間関係がらみの話題で、最近心が抉られるほどの衝撃を受けたのが、「まじめな会社員」という漫画。

主人公さんもスキゾイドぽいのかな?と想像しつつ、対人関係の焦りや不安がものの見事に言語化されていて、どうしようもなさに胸がつまります…わかりすぎる。

そう、で、結局どうしたらいいの?っていうのはわからないまま…まだまだ自分のご自愛までの道のりは遠いですが、今日はスキゾイドと人間関係について改めて考えることができたのでよしとします。

お酒は何を飲むかでなく、誰と飲むか。

久しぶりにオンライン飲み会に参加しました。

参加人数が多いので、小グループに分かれ、数十分単位でメンバーをローテする、というものです。

昔お世話になったチームに混ぜてもらう形で、参加しました。
数年ぶりにお顔を拝見する方が多く、和やかで楽しい時間を過ごしました。
そうやって2時間ほどを過ごしたのち、散り散りになって好きなもの同士二次会へ進んだり、退室したりしました。このチームは催しへ強制参加させるような雰囲気が一切ないのがいいところだと思います。

私は特に今も懇意にしてもらっている方2人と二次会に突入しそこから3時間半、合計6時間近く話し込んだことになります。

その日、飲み会前にはタイミング悪く朝からずっと客先訪問の予定が入っていて、人付き合いが苦手な私は、その後に飲み会なんてしたらそうとうに疲れるか酔っ払うかしてしまうのでは、と思いましたが、次の日にお酒が残ることもなく、多少の疲れはありましたが、体調は悪くなりませんでした。

私に限った話で言えば、お酒が体に悪さをするかどうかは、酒の種類、量は関係なく、誰と飲むか が重要だと感じます。
頻度も量も減ってきて、昔に比べればお酒への耐性はなくなっていますが、楽しいお酒の席では、たくさん飲んでも体に影響が出ません。

そして次に思い当たるのが、飲み会に行く、帰る という心理的ハードルが低い自宅での参加だったこと。
移動にともなう疲労と、空気を読んで「この辺で帰ります」と言い出せずにいるストレス、遅くまで家を空けて帰り道を夫に心配させているという申し訳なさ…これが私の中で思いのほか影響が大きかったと感じます。
いつでも抜けられると思うと、すごく安心して、その結果、逆に長時間楽しめました。

そんなことをしみじみ考えるとともに、あらためて、私は「まわりからの影響や刺激」が1番体に影響が出るのだな、ストレスのもとなのだなと実感しました。

何を食べたか飲んだか、どれだけ運動や仕事を行ったかより、誰とどう過ごしたか。
飲み会で色々な話をして、他にも気づいたことがたくさんありますが、とりあえず、私はこの点に関して、自分のために特に気を付けてあげないといけないな、と実感しました。

久しぶりなので書くことのリハビリ。また、40歳直前で、自分の癒し方がわからないということに気づいた。

更新頻度は落ちていますが、今回は自分の気持ち的本当に久しぶりだなあという感じがします。

今年はいろいろありまして、ブログも勢いがないですけれども(それは数年前からですが…)
自分自身の書くリハビリとしてしばらく何も考えずに
その時その時書きたいことを書いてみようかなと思っています。

ああ…書かない間にパソコンも変わって、半角入力も入力モードのまま(日本語の場合は全角)になってしまっている。
スペースは常に半角にしてほしいので、入力設定を「スペースは常に半角」に変更しました。
こうしてブログを書いたことで、快適な生活へほんの小さな小さな一歩です。

義理の母が亡くなりました。
今年の夏ごろからだんだん食が細くなっていき、介護方針も、機能回復→現状維持→看取り というように変わっていきました。
最期は同室で寝泊まりし、夫が母の手を撫でているときに、ふっと息を引き取りました。
介護、看取り、その後については、もう本当に色々なことがあり、夫婦ともども体も心も大変でした。
夫はもともとうつ病を持っていますが、最愛の母を亡くしたことで、少し休養が必要な状態になりました。
私にできることは限られますが、せめて隣で、いつでも寄り添っていたいと思います。

仕事では相変わらずリモートワークが続いており、コロナに加え上記のようなことが重なり、今までにも増して、外出することが減りました。
無理して土日外出したりもしていたのですが、寒くなってくるとともに、土日も寝て過ごすことが多くなり、あまりよくないと思っています。
でもどうしても体が動かないんですよね。

久しぶりに仕事で連日客先を訪問することが続きました。
これが本当にしんどくて。
リモートワークでなまりきっているからだ、人と接することに慣れていない故の緊張、常にだれかと行動を共にする苦痛。
その週末はここ数年で一番体がおかしくなったのではないかという状態になってしまいました。
歳のせいか、なかなか状態が回復せず、いよいよ、仕事以外常に横になっている状態になってしまいました。
無理の利かない体になったな~と、このままでは危ないと思っています。

そして、そのように体も疲れが抜けないと、心もどんどん鈍化して重たくなってきます。
それで、それをどうにかしないとな、とは思うのですが、そこで机に向かって解決策を考えても、何も浮かばないんですよ。
あれ?どうしたんだろう、と、ノートを広げてペンをとっても、頭が真っ白で何も書けないんです。
私は今まで何をしてきたのだろう、こういう時どうやって回復していたっけ、と、焦りを感じました。
今年はバレットジャーナルといって、毎日記録をとったりTODOを書きだしたりしているノートを活用していますが、
みかえすと、最近は、マンスリーの記録も連日空白、デイリーページも仕事の必要最低限の記録のみ。
自分がちくわみたいに空洞になった気分です。
わたし、来年40歳になるのに、どうして自分自身をケアできるすべをもっていないのだろう。
今まで生きてきて、私は私のことをちっとも理解していないし、ケアしようとも思ってこなかったな。
「自分のことがわからない」とは常々思ってきましたが、あまりにも自分に対してひどい生き方をしていたんだな。
そう思って、やるせなくなりました。ほんとうにやるせない。
誰のせいでもなく間違いなく自分の心をないがしろにしてきたせいです。ごめんね自分。

こういうときって、マッサージ?本?洋服?お風呂?お出かけ?体にいい食べ物?わからない、
一般的に「こうするといい」ということは知っているけど、自分が本当に何をしてほしいのかが全く分からないです。

全てにおいて一事が万事、私はこう生きてきたんですね、一般的には〇〇。
でも私は〇〇ってものが、わからない。
私が何をしたら喜んで、何に悲しむかって、どうやったらわかりますか?
そんなのみんな当たり前にできていると思うけど、当たり前にできるためには何をすればいいのでしょうか?
私にもそのときそのときに何か感じているものがあると思うのですが、少し時がたつと、その時の感情が思い出せない。

あきらめぐせが強いことも関係しているのかもしれません。
自分にもあきらめているんだと思います。

なんだか書いていてまとまらなくなってきたので今日はこのあたりで終わろうかと思います。
書くことで少しすっきりしました。

違和感を取っ払って習慣化!歯磨きは洗面台で行わない。

歯磨きって、どこでやっていますか?
一般的には、洗面台で立って行う方が大多数ではないかと思います。

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歯を磨くのって正直とてもめんどくさいです。
毎日きちんと磨くのはとても大変です。
洗面台でやると、
・たちっぱなしでキツイ
・夏は暑い、冬は寒い
・そもそも洗面所に行くのがめんどくさい
・歯磨きしている時間が楽しくない
という、めんどくさがりにとって実は大変なハードルがあることがわかります。
仮に「毎日磨く」ということは習慣化できても、「しっかり磨く」というところまで習慣化していくのはかなりのストレス…

でも、歯というのはよく考えたらすごく貴重な資産なわけです。
永久歯に生え変わったら、そこから死ぬまで、一生その歯で過ごさなくてはなりません。
それなのに、歯磨きをきちんとしないと虫歯になってしまいます。

私は数年前まで、歯磨きを正しく行わなかったせいで虫歯ができていました。
歯並びがすごく悪いので、特に念入りにやらないと、すぐに磨き残しができてしまうのです。

私にとって歯磨きは、きちんとやろうとうとするとすごく大変な作業です。
ですが、歯磨きに関してある固定概念を取り払ったことで、いまでは毎日時間をかけて適切に歯磨きをできるようになりました。
歯並びが複雑で磨くのが難しいのですが、歯医者さんに「そこまで磨けているから大丈夫」と言ってもらえるまでになりました。

私が変えたことはたった一つ、「歯磨きをリビングでする」ということです。

歯磨きを洗面台で行う際のハードルを思い出してください。
「立ちっぱなし」「温度差」「移動の手間」「手持無沙汰の時間」…これらをすべて解決してくれるのは「リビングという場所」でした。

歯磨きをきちんとやろうと思ったら、ある程度の時間はどうしてもかかってしまいます。
時間がかかってもなるべく苦ではないようにすることが習慣化のカギでした。
私だけでなく、夫もリビングで磨くようになってから歯磨きにすごく時間をかけることができるようになっています。
リビングで行えば、座っていることができるし、温度も快適、そして何より、音楽を聴いたりテレビやスマホを見たり、会話しながら歯磨きを続けられるのがいいところです。
最初に念入りに部分磨きをした後、アニメを1本見ながら磨けばあっという間に時間がたちます。

私は、部分磨き・全体磨き・フロス・歯間ブラシはリビングで、舌磨き・コンクールうがいを洗面台でやっています。
(コンクールは「コンクールF」という薬用マウスウォッシュです。歯科推奨品で刺激がなく恐ろしくコスパがいいので全人類にオススメ)

リビングでやるとどうしても歯磨き粉が垂れたりするのでは?という疑問があるかもしれませんが、歯磨き粉はごく少量しか使いません。
ずっと前に流行したキスユーという歯ブラシがあるのですが、私はずっとそれを使っています。
(奥まで1本1本磨きやすいコンパクトヘッドがオススメ)
その歯ブラシで磨くと、歯磨き粉をつけなくても歯がツルツルになりますし、歯磨き粉の泡はむしろ立ちすぎるときちんと磨くのが難しいと感じます。

あと、手鏡を使っていろんな角度で見ながら歯を磨くととても磨きやすいですね。

きちんと歯磨きをしたいけど、どうしてもササっと済ませてしまいがちな人は、思い切って場所を変えてみてほしいです。




掃除嫌いの私でも変われた。お金で買ったのは家電ではなく習慣だ。

在宅勤務になってからというもの、平日は毎朝フロアワイパーをかけることが習慣になりました。
しかし、めんどくさいことが大嫌いな私は、フロアワイパーで取り除けない大きなゴミやほこりまでは毎日取り除くことができませんでした。
そのうち、取り切れなかったゴミやほこりは隅に溜まっていき、それを見るのが嫌でフロアワイパーも2日に1回、3日に1回、とだんだん間隔があいていき…
「完璧じゃなければ気が済まないのに完璧にするにはめんどくさすぎるのでその行為自体やめてしまう」という、私のお決まりのパターンへ陥ってきました。

家にある掃除機を出してみるものの、コードの差し替えや本体の引っ掛かりが嫌になり、掃除機の大きな音も嫌いで、結局掃除自体は休日たまに重い腰を上げ嫌々やる始末で。

これではいけない。
掃除なんて毎日しなくても生きていけるけど、やっぱり毎日ずっと隅にホコリの溜まっている部屋で仕事をしているとなんとなくイヤな感じになってくるのです。
まるで隅のホコリからなにか「怠惰臭」が出ているというか、掃除だけではなく確実にその他の行動にも影響を与えてくるのです。

今より少しでも楽に、少しでもきれいな状態を保ちたい。そう思って、ずっと買うのを躊躇していた「コードレス掃除機」を購入しました。
(夫のドコモポイント使用期限とネット契約時の商品券があったことに背中を押されたというところもあります)

もう皆さまお察しでしょうが、「なぜもっと早く買わなかったのか」というほど毎日楽になりました。



正直、そんなに広くもなく、絨毯も使用せず、フローリングで、ペットも子供もいない我が家はこれ1台で十分ではないかと思います。
ただ、今まで使っているホース式の掃除機も現役で壊れておらず、夫が時々使っているので、捨てるわけにはいきませんが…

良い点しか思い浮かびません。
★とにかく軽い
・音が静か
・コンセント差し替えなくていい
★ごみ捨てが楽
・問題なく吸う(「強」を使う必要がない)
★スタンド付きなので出しっぱなしで倒れない
★何気に先端のライトが便利でゴミがよく見えて楽しい
★充電が簡単
★バッテリーが取り外せるのでそこだけ交換ができる
・起動させると自走式でさらに軽く感じる
★一度充電するとなかなか電池切れにならない

★をつけた部分が特にこの「日立 PV-BL30H シャンパンゴールド パワかるスティック [サイクロン式 / コードレススティッククリーナー]」が優れていると感じた部分です。
でも、特にこの機能がなくても、コードレススティッククリーナーは本当に便利だと思います。
音が静かなことには驚きました。他のスティッククリーナーと比べたわけではないのですが、もともと持っていたホース式の掃除機の数分の一程度の音です。
使ってみて、自分が思いのほか掃除機の「音」にストレスを感じていたことに気づきました。
また、ごみの収集方法で紙パック式とサイクロン式で悩んだのですが、サイクロン式でもこの機種はゴミ捨てと取り外しが簡単で、丸洗いもできるし、ずぼらにうれしいのが、細かいホコリを取るのが便利な小さなブラシが収集部分の本体にくっついていることです。別でブラシを取りに行くことなんて、めんどくさがりの私にはハードルが高すぎます。地味にありがたいです。
そのほか、全然いらないと思っていたヘッド部分のLED、使ってみるとゴミがとってもよく見えて、それを吸うときのスッキリ感に病みつきです。いらないと思っていてスミマセン。

・・・と、いろいろと語りだしたら止まらないのでこの辺にしておきますが、とにかく、掃除が苦な人は早く買った方がいいです。

ちなみに究極に楽なのはルンバなどのお掃除ロボットだと思いますが、
・段差が多い
・床置きのものが多い
・家が広くない
・お値段が高い
といった理由で私には適さないと判断しました。
特に段差があるお宅は、ロボット掃除機の魅力が半減しますよね。ロボットが行ける所だけきれいになって、行けないところを結局自分で掃除機をかけるなんて、なんか切ない…
あと、「ルンバ買って床置きしなくなった」という方の意見にはかなり惹かれますが、私レベルだと床置きを改善するよりルンバを使わなくなる未来が見えたので…

もともと家電などの高価で場所をとる品物を買うのが苦手な私ですが、今回「お金で買ったのは、家電ではなく習慣だ」と思える良い買い物ができました。
カネ→モノ→コト へとよい流れが起きていることを実感できています。
とても快適で満足しているので、仕事をもっと頑張って生活を楽にするために投資しようという気持ちが湧いてきます。

今年買い物をしたなかでもトップでよかったものです。
とてもおすすめできます。

ダメな野心を手放し、健全な野心を持とう。今の時代にこそ読みたい 林真理子「野心のすすめ」

「野心」というとなんだかガツガツした一昔前のニオイ…
そう思っていた私に、「なにをいってるのあなた、ちゃんと自分と向き合っていないからそんなことが言えるのよ。かっこわるい」って頭をはたかれたような一冊でした。

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野心のすすめ (講談社現代新書) [ 林 真理子 ]
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まず本編に入る前の「はじめに」の一説からして心をつかまれます。

たとえば、受験はわかりやすい例だと思います。
最近の親御さんは、自分が偏差値教育で苦労した成果、息子や娘に「あなたが無理せず行ける学校でいいよ」ということが多いそうです。でも結局、第一志望には落ちて、第二志望、第三志望の学校に進むのはよくあることでしょう。であれば、第一志望のハードルを上げてみる。まずはできるだけ高く跳ぼうと努力しながら、結果的に目標の少し下をがっちり手に入れようとすることだって立派な野心だと思います。

目からうろこです。「野心」といえば、常に一流を目指して何が何でもそれが欲しいと「分不相応」なものを目指して突き進む、どちらかといえばあまりよくないイメージを持っていたけど、「分不相応」である一番高い山目指してがむしゃらに走り続けることで、もともと到達したかった峠を楽に超える能力が身につく…
「健全な野心」ってつまりこういうことか、と納得しました。

本編には、野心が車の前輪だとすると、努力は後輪であり、両方のバランスがうまく取れて前に進んでいくことこそ「健全な野心」であると書かれています。

長年の不景気と閉塞感、多様化していく社会にあってこうした「野心」という言葉はどこか遠い世界の話、私の生活とは無縁の話として片づけてしまいがち。
でも今の時代を生きる若い人ほど読んでほしい内容でした。常に自分が何を望みどのような状態に満足するのか早い段階で知っているということ、その状態を何が何でも手に入れるという強く健全な心を持ち続けるということは、むしろみんながギラついていた(であろうバブルの時代。私も知らないけれど…)時よりいっそう重要になっています。
もちろん私みたいなアラフォーでも「健全な野心」は必要、この先の安定がもはや風前の灯火であることを自覚し、適切な野心を持ちシビアに自分と未来を見ていかなければ…と背筋の伸びる思いでした。
個人的にも最近見ないようにしていた部分…現状に甘んじていて努力を怠っていることや、同級生たちの順風満帆(にみえる)な活躍と比較して卑屈になること、自分のやりたいことがいまだにはっきりとわからないままずるずると過ごしていることについて、はっきりと「あまい」と指摘してもらえたこと、今読むべくして読んだ本だなと感じます。


林真理子さんの本は最近まで読んだことがなかったのですが、読みやすく面白く、またご本人がとてもチャーミングで素敵だと思いました。林真理子さんの本は友人から進められて読み始めましたが、年上のお姉さんに私の知らない世界を語ってもらっているみたいな読書体験が新鮮で、本当に感謝です。
メンタルが弱くてのらくらしている私は林真理子さんのようなタイプの方と面と向かって接することが怖くてできないと思いますが、そんな私にもぴしゃっと愛情をもってもの申してもらえる、本って、読書ってこれだから素晴らしいと思います。